なぜ東ドイツの「国民民主党」を研究するのか――旧ナチ党員を排除せず利用した社会主義国家のインテリジェンス
なぜいま東ドイツを研究するのか
最近、私はドイツについて改めて考えています。メルツ政権の成立後、ドイツはヨーロッパの安全保障における軍事的役割を拡大し、ロシア側もドイツを以前とは異なる目で見るようになっています。現在のドイツを理解するには、現在の政策を分析することが必要です。しかし、国家の行動をより深く理解しようとするならば、その国が過去の体制転換をどのように処理したかを見ることも有益です。とりわけ私が関心を持つのは、1945年にナチス・ドイツが崩壊した後、東西二つのドイツが第三帝国から引き継いだ「人間」をどのように扱ったかという問題です。国家は崩壊しても、人間は消えません。昨日までナチ党員だった人、国防軍で戦っていた人、第三帝国の官僚機構や経済組織で働いていた人々が、敗戦の翌日から突然、別人になるわけではありません。それでは新しい国家はこの人々をどうするのか。全員を排除するのか、処罰するのか、再教育するのか、それとも能力のある人間については監視しながら利用するのか。この問題は歴史学だけの問題ではありません。インテリジェンスに直結する問題です。
体制転換が起きたとき、旧体制を知る人間は新体制にとって二つの顔を持ちます。危険人物であると同時に、有用な人材でもあるからです。旧体制の軍人は新体制に反抗する可能性があります。しかし、軍事について最も詳しいのも彼らです。旧体制の官僚には過去への忠誠が残っているかもしれません。しかし、行政実務を知っているのも彼らです。敵だった人間をどこまで排除し、どこから利用するのか。その境界線を決めるには、思想だけではなく、人物の能力、動機、人脈、危険性を個別に評価しなくてはなりません。この問題を考えるうえで非常に興味深い事例が、東ドイツに存在した国民民主党です。
東ドイツにも「国民民主党」があった
ドイツの「国民民主党」と聞くと、戦後の西ドイツで結成された極右政党を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、ここで取り上げるのはそれとは別の政党です。ドイツ語ではNational-Demokratische Partei Deutschlands、略称NDPD。1948年にソ連占領地域で作られ、1949年のドイツ民主共和国(DDR、東ドイツ)成立後は、社会主義統一党(SED)の指導下に置かれた「ブロック政党」の一つとなりました。重要なのは、その成立目的です。NDPDが取り込もうとした社会集団には、旧NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党=ナチ党)党員、旧国防軍軍人、そして戦争と体制転換によって政治的な居場所を失った中間層が含まれていました。東ドイツは自らを「反ファシズム国家」と位置づけました。その国家が、旧ナチ党員を対象とする政治的な受け皿を作ったのです。理念だけを見れば矛盾しているように思えます。しかし、国家統治という観点から見ると、別の姿が見えてきます。
「排除する」だけでは国家を作れない
戦争が終わったとき、ドイツ社会には膨大な数の旧ナチ党員がいました。官僚、技術者、教師、企業関係者などにも、ナチ体制と何らかの関係を持っていた人が多数存在しました。この人々をすべて国家と社会から永久に排除したらどうなるでしょうか。行政を動かす人間が必要です。工場を動かす技術者も必要です。軍隊を作るなら軍事経験者も必要になります。さらに、旧体制と関係していた膨大な人口を新国家から疎外すれば、その人々が反体制勢力になる可能性もあります。新しい体制には、ナチ体制を政治的、思想的に否定すると同時に、ナチ体制の下で生活していた人々のかなりの部分を新しい社会へ再統合するという二つの課題がありました。そこで重要になるのが、「誰を処罰し、誰を許し、誰を利用するか」という選別です。これは司法だけの問題ではありません。インテリジェンスの問題でもあります。