インテリジェンスオフィサーはなぜ高校地学を学ぶべきなのか――国家の意思だけでなく「地球の制約」を読む
地図だけを見ていても国際政治は分からない
インテリジェンス分析では地図を見ることが重要です。しかし、地図を見るだけでは不十分です。その土地がなぜその形をしているのかまで考えなくてはなりません。山脈はどのように形成されたのか。河川はどちらに流れるのか。平野はどこに広がり、人口はどこに集中するのか。どこに港を造ることができ、どこには大型船が近づけないのか。こうした問題はすべて地学につながっています。国境線は政治家が地図の上に引くことができます。しかし山脈を消すことはできません。海峡を自由に広げることもできません。永久凍土を政治的意思だけでなくすこともできません。国家には意思がありますが、自然条件はその意思を制約します。
インテリジェンス分析では、指導者の演説や軍事ドクトリンを読むだけでなく、その国家が置かれている物理的環境を見る必要があります。高校地学の優れているところは、この「物理的環境」を体系的に学べることです。地球内部、地殻変動、地震、火山、気象、海洋、さらに宇宙まで、一冊の教科書を通じて地球を一つのシステムとして見る訓練ができます。
地形を知れば軍事行動の可能性が見えてくる
軍事分析では地形が決定的な意味を持ちます。戦車はどこでも同じように走れるわけではありません。森林、湿地、山岳、河川、積雪、凍結によって機動性は大きく変化します。航空機も天候から自由ではありません。艦艇には海峡、水深、潮流という制約があります。
ウクライナ戦争を見る場合でも、地図上の距離だけを見ていては分かりません。黒土地帯の土壌が降雨によって泥濘化する時期、河川の位置、森林帯、冬季の凍結などが軍事行動に影響します。ロシアの広大な国土について考える場合も同じです。シベリアや極東を単に「広い土地」と理解するだけでは足りません。永久凍土、河川交通、森林、気温、積雪、道路網や鉄道網の整備可能性まで見なくては、国家の実際の統治能力や軍事輸送能力は分かりません。
ここで重要なのは、地学を学べば軍事作戦を予言できるということではありません。そうではなく、「この作戦は物理的に可能なのか」という問いを持てるようになることです。インテリジェンス分析では、この問いが非常に重要です。
気象は政治より強いことがある
国家指導者は命令を出すことができます。しかし天候には命令できません。台風、豪雨、豪雪、干ばつ、熱波、寒波は、政治判断とは無関係に国家の行動を制約します。軍事史を振り返れば、天候が作戦に大きな影響を与えた例はいくらでもあります。しかし気象の重要性は軍事だけにとどまりません。干ばつは農作物の不作を引き起こし、食料価格を上昇させます。洪水はインフラを破壊します。異常高温は電力需要を急増させます。豪雪は物流を止めます。そして、こうした自然現象が社会不安や政治危機につながることがあります。
したがってインテリジェンスオフィサーは、「政権は何を考えているか」だけでなく、「今年の降水量はどうなっているか」「穀物生産地帯の気象条件はどうか」「主要河川の水位はどうか」といった情報にも注意を払う必要があります。政治分析と気象分析が別々の世界にあると考えてはいけません。
海洋を知らなければ海洋国家は理解できない
日本のインテリジェンスオフィサーにとって、とりわけ重要なのは海洋です。日本は島国で、エネルギー資源や食料の多くを海上輸送に依存しています。それにもかかわらず、日本では国際政治を陸上の地図だけで考える癖があります。
高校地学では、海流、水温、海底地形、プレート、海洋循環などを学びます。これらは一見すると国際政治とは無関係に見えます。しかし実際には非常に重要です。海峡がなぜ重要なのかを理解するには、単に「船が通るから」では足りません。海峡の幅、水深、周辺の港湾、潮流、航路、代替ルートまで見なくてはなりません。ホルムズ海峡、バブ・エル・マンデブ海峡、マラッカ海峡、台湾海峡、トルコ海峡などが世界政治で重要なのは、地図上の細い場所だからだけではありません。地形と海洋条件によって形成された物理的な「狭い戸口」に、世界経済の物流が集中しているからです。インテリジェンス分析では、このような地点を「チョークポイント」と呼びます。経済や軍事の問題に見えますが、その土台には地学があります。
地震と火山は安全保障問題である
日本人は地震や火山を防災問題として考えることには慣れています。しかしインテリジェンスの観点から見ると、地震や火山活動は安全保障問題でもあります。大地震が発生すれば、港湾、空港、道路、鉄道、発電所、通信設備が被害を受けます。軍事基地も例外ではありません。政府の危機対応能力も試されます。海外で大規模災害が発生すれば、その国の政治的安定性、軍の展開能力、物流、食料供給、対外政策にも影響が及びます。
つまり、地震の震度やマグニチュードを確認して終わってはいけません。「この地震によって国家機能のどこが弱くなったのか」「軍事的な空白は生じたのか」「周辺国はどう反応するのか」まで考える必要があります。高校地学でプレートテクトニクスを学ぶ意味は、単に試験で震源やプレートの名称を答えるためではありません。自然災害がなぜ特定の地域に集中するのかを理解し、それが国家の脆弱性とどう結びつくのかを考える基礎になるからです。
資源を考えるときにも地学が必要になる
石油、天然ガス、石炭、鉄鉱石、銅、ウラン、レアアースなど、国家安全保障に関係する重要資源の多くは地下から採掘されます。ところが資源問題を経済だけで理解しようとすると、重要な部分を見落とします。なぜその地域に油田があるのか。なぜ特定の鉱物が特定地域に集中しているのか。採掘は技術的に可能なのか。永久凍土や深海、砂漠などの条件はどうか。輸送路は確保できるのか。これらは地質学と密接に関係する問題です。
ロシアを理解するとき、この視点は不可欠です。ロシアは世界有数の資源国ですが、「資源が存在すること」と「その資源を経済的に利用できること」は同じではありません。北極圏や東シベリアの資源開発では、気候、永久凍土、輸送インフラなどが大きな制約になります。中国についても、レアアースという言葉だけを覚えるのではなく、鉱床、採掘、精錬、輸送、環境負荷まで見る必要があります。資源安全保障とは、地下資源の埋蔵量ランキングを暗記することではありません。自然条件と産業能力と政治権力を一つの系として見ることなのです。
衛星画像を読むためにも地学が必要になる
現代のインテリジェンスでは、衛星画像の重要性が飛躍的に高まっています。軍事基地、飛行場、港湾、ミサイル施設、災害被害、森林火災、洪水など、民間の衛星画像を含む公開情報からも大量の情報を得ることができます。しかし画像を見るだけでは分析になりません。そこに写っている地形や自然現象が何なのかを理解しなければならないからです。谷なのか、河岸段丘なのか、火山地形なのか、干上がった湖なのか。雪なのか雲なのか。植生の変化なのか、人為的な造成なのか。地形、地質、気象について基礎知識がなければ、画像から間違った結論を導く危険があります。
オープン・ソース・インテリジェンス、すなわちOSINTが普及したことで、かつて専門機関だけが利用できた種類の情報に一般の研究者や市民も接することができるようになりました。しかし、「見ることができる」ことと「意味を読み取れる」ことは違います。ここでも高校地学の知識が効いてきます。
地学は「時間の感覚」を変える
地学を学ぶもう一つの意味は、時間の感覚が変わることです。政治家は選挙を数年単位で考えます。外交官は政権や条約を数十年単位で考えます。しかし地学では、数万年、数百万年、数億年という時間を扱います。この感覚を持つと、国家や現在の国際秩序が「永遠」に存在するという錯覚から自由になります。山脈も海岸線も変わります。気候も変わります。河川の流路も変化します。人類が当然の前提だと思っている環境も、本当は地球史の中の一時的な状態にすぎません。
これはインテリジェンス分析にも重要です。分析官は、目の前のニュースだけに反応してはいけません。短期、中期、長期を分けて考える必要があります。地学は、時間軸を伸ばして考える習慣を身につける訓練になります。
高校地学の教科書で十分なのか
「それほど重要なら大学の専門書を読まなくてはいけないのではないか」と思う人もいるでしょう。しかし最初の一冊としては、高校レベルの地学教科書が適しています。むしろ高校教科書がよいのです。理由は、専門分野ごとの細かい議論に入る前に、地球全体を一つのシステムとして見ることができるからです。地球内部から地表、大気、海洋、宇宙までを一冊で見渡せるように構成されている点に、高校地学の大きな利点があります。
高校地学は専門家を作るための本ではありません。しかしインテリジェンスオフィサーが必要とするのは、地質学者や気象学者になることではなく、専門家の報告を理解し、政治や軍事の情報と結びつけるための基礎概念を持つことです。これは数学や物理についても同じです。分析官に必要なのは、専門研究者と競争することではありません。専門家の説明を聞いたときに、何が重要な変数なのか、どこを質問すればよいのかを理解できるだけの基礎体力を持つことです。
インテリジェンスでは「意思」と「能力」を分ける
インテリジェンス分析には、古典的ですが非常に重要な区別があります。それは「意思」と「能力」を分けることです。ある国家が何かをしたいと思っていることと、実際にそれを実行できることは違います。政治演説を読めば「意思」はある程度分かります。しかし「能力」を見るためには、軍事力、経済力、技術力、人口、物流とともに、地形、気象、資源、水、海洋という自然条件を見なくてはなりません。
例えば、ある国が北極圏の開発を国家戦略として掲げたとします。その演説を分析するだけでは不十分です。永久凍土はどうなっているか。港湾は利用できるか。砕氷船は何隻あるか。道路や鉄道は建設できるか。海氷の状態はどうか。気候変動によって条件はどのように変化しているか。そこまで見て初めて、その政策の実現可能性を評価できます。地学は、国家の「能力」を支え、同時に制約する物理的条件を読むための学問なのです。
自然条件を決定論にしてはいけない
ただし、一つ注意が必要です。地理や地学を重視すると、「この国は山に囲まれているから必ずこう動く」「この国は資源国だから必ずこうなる」という地理的決定論に陥る危険があります。自然条件は国家の行動を決定するのではありません。可能な選択肢を広げたり、狭めたりするのです。同じ地理条件に置かれていても、技術、政治制度、同盟関係、経済力、指導者の判断によって国家の行動は変わります。
だからインテリジェンス分析では、地学だけを見てもいけません。思想、歴史、経済、宗教、政治制度と組み合わせる必要があります。重要なのは、自然条件を無視することでも、自然条件ですべてを説明することでもありません。それを「重要な変数の一つ」として正確に組み込むことです。
地学を学ぶとニュースの見え方が変わる
高校地学を一通り学ぶと、ニュースの見え方が変わります。「台湾海峡で緊張が高まった」というニュースを見れば、海峡の幅や水深、季節風、台風についても考えるようになります。「北極海航路が重要になる」と聞けば、海氷、海流、永久凍土、港湾条件を考えます。「ロシアがシベリアの資源開発を進める」と聞けば、地下資源だけでなく地質と輸送条件を考えます。「中東で水不足が深刻化している」と聞けば、降水量、地下水、河川流域、蒸発量を見るようになります。ニュースを孤立した事件として見るのではなく、地球という物理的システムの上で起きている現象として見るようになるのです。
インテリジェンスオフィサーは「地球の抵抗」を読まなくてはならない
インテリジェンスの世界では、人間の意思を読むことが重視されます。指導者は何を考えているのか。軍は何を計画しているのか。外交官は何を交渉しているのか。もちろん、これらは重要です。しかし人間の意思だけを追いかけていると、大きな誤りを犯します。人間には意思があります。しかし地球には、人間の意思とは別の論理があります。山はそこにあり、海はそこにあり、冬は来ます。地震は政治的配慮をしません。台風は同盟国と敵国を区別しません。資源は欲しい場所に存在するとは限りません。
インテリジェンスオフィサーに必要なのは、相手の頭の中を読む能力だけではありません。その国家が置かれている物理的世界を読む能力です。国家が何をしたいのかと同時に、自然条件がその国家に何を可能にし、何を困難にしているのかを見る。その訓練を始めるのに、高校地学の教科書は優れた教材です。
インテリジェンスを本格的に学ぼうとする人には、国際政治の専門書を読む前でも後でもよいので、一度、高校地学の教科書を最初から最後まで読み通すことを勧めます。そこには、ニュースの背後にある「動かしにくい条件」を読むための基礎が詰まっています。国家の意思を読むだけでは足りません。国家を取り囲む自然の条件を読む。その双方を重ね合わせたとき、初めて現実の世界が立体的に見えてきます。私は、それがインテリジェンス分析の基本だと考えています。
【参考文献】
・大路樹生ほか『改訂 地学基礎』東京書籍、2026年。
・天野一男、渡部潤一ほか『地学基礎 新訂版』実教出版、2026年。
・磯﨑行雄ほか編『高等学校 地学基礎 改訂版』新興出版社啓林館、2025年。
・中村尚ほか『改訂版 高等学校 地学基礎』数研出版、2026年。
・西村祐二郎ほか『高等学校 改訂 地学基礎』第一学習社、2026年。
・磯﨑行雄ほか編『高等学校 地学 改訂版』新興出版社啓林館、2026年。
・文部科学省『高等学校用教科書目録(令和9年度使用)』文部科学省、2026年。
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