ロシアはなぜ米国よりドイツを警戒し始めたのか――変化するモスクワの脅威認識
米国が「主敵」でなくなったわけではない
ロシアの安全保障認識を理解する際、最初に注意しなくてはならないことがあります。「ロシアの脅威認識が米国からドイツに移った」という表現を文字通り受け取ってはいけません。核兵器、宇宙、ミサイル防衛、世界規模の軍事展開能力という観点では、現在も米国はロシアにとって唯一の本格的な戦略的競争相手です。ロシアの戦略核戦力の多くは、現在でも米国との相互抑止を念頭に置いて整備されています。2026年9月にもロシア外務省は、米国による宇宙兵器配備の動きに強い警戒感を表明しています。従って、「米国の代わりにドイツがロシアの最大の敵になった」と考えるのは正確ではありません。
しかし、ロシア指導部の発言を時系列で追うと、もう一つの変化が浮かび上がります。米国についてはトランプ政権との交渉や情報機関間の接触を残しながら、欧州、特にドイツに対する言葉が著しく厳しくなっているのです。
米国とは「対立しながら話す」関係になった
2025年12月17日、プーチン大統領はロシア国防省拡大会議で興味深い発言をしました。NATOの軍備増強を強く批判する一方で、米国については、「新しい米政権との対話に生じている前向きな動きを歓迎する」と述べました。それに続けて、欧州諸国の現在の指導者については同じことが言えないと指摘しています。ロシア大統領府が公表した発言を見る限り、プーチン氏は米国と欧州を意図的に区別しています。
これはロシアが米国を友好国と見なすようになったという意味ではありません。米ロ間には核戦力、NATO、宇宙兵器、制裁、ウクライナ問題など深刻な対立が残っています。しかし、モスクワから見ると、ワシントンには少なくとも「取引が可能な相手」という側面が復活しています。
2026年8月25日には、米中央情報局(CIA)のジョン・ラトクリフ長官がモスクワを訪問し、ロシア側の情報機関関係者と接触しました。トランプ大統領自身も、この訪問について、両国情報機関トップには良好な関係があり、定期的な接触の一環だとの認識を示しています。ロイターによれば、この会談ではロシアによるNATO加盟国への作戦の可能性や、ロシアとイランの関係など複数の問題が議論されました。対立が深刻だからこそ、情報機関同士の回線は維持されているのです。
ここに、現在の米ロ関係を理解する鍵があります。米国は強大で危険な相手です。しかし同時に、核大国同士として危機を管理し、場合によっては取引する相手でもあります。
ドイツに向けられる言葉が変わった
これに対し、ドイツについてロシア指導部が使う言葉は明らかに違います。2025年10月2日、ヴァルダイ国際討論クラブでプーチン大統領は欧州の軍事化について述べ、その中でドイツを名指ししました。ドイツが再び欧州最強の軍隊をつくるとの方針について、ロシアは「注意深く聞き、何を意味するのか注視している」と述べ、「これらの脅威に対するロシアの回答は長く待たせない」と警告しました。ここで重要なのは「再び」という歴史的含意です。ロシア人にとってドイツの軍事力は、単なるNATO加盟国の軍隊ではありません。第二次世界大戦、独ソ戦、約2700万人とされるソ連の人的損失という集合的記憶と結びついています。プーチン政権は大祖国戦争の記憶を国家アイデンティティーの中心に置いています。そのロシアにとって、「ドイツ軍を欧州最強にする」という言葉は、英国やフランスの軍備増強とは異なる心理的意味を持ちます。この歴史的記憶を無視すると、ロシア側の反応の強さを理解できません。