沖縄人の政治意識を「セヂ」から考える――仲原善忠が見抜いた権力の見えない根拠
「セヂ」とは何か
「セヂ」という言葉は、現代の日本語にはほとんど残っていません。簡単に言えば、人間や王、神聖な場所などに宿り、その人や共同体を支え、守り、力を与えると考えられた霊的な力のことです。単なる「神様」ではありません。目には見えませんが、人間や社会に働きかける力として理解されていました。戦後の沖縄学で、このセヂを本格的に論じた研究者の一人が仲原善忠です。仲原は論文「セヂ(霊力)の信仰について」で、この概念を『おもろさうし』などの古い歌謡から読み解きました。この論文は柳田国男編『沖縄文化叢説』(中央公論社、1947年)に収録され、後に『仲原善忠選集』『仲原善忠全集』にも収められました。仲原以後の研究では、セヂは『おもろさうし』を理解する核心的な概念の一つとされてきました。つまり、権力や生命力の背後にある、目には見えない力として理解されたのです。
仲原善忠とは誰か
仲原善忠は1890年、久米島の仲里間切真謝村に生まれ、1964年に没しました。沖縄県師範学校を卒業した後、広島高等師範学校で学び、静岡、青島、鹿児島などで教員を務め、1924年には成城第二中学校の教員となりました。戦前は主として地理教育に携わり、1939~40年頃から本格的に沖縄研究に取り組みました。戦後は『沖縄文化』を創刊し、沖縄人連盟会長、沖縄文化協会会長なども務めました。仲原は伊波普猷の後を継ぐ世代の沖縄学者であり、とりわけ『おもろさうし』研究で大きな成果を残しました。久米島という周縁から琉球王国を見る視点も重要です。仲原は王府の支配だけでなく、その下に置かれた離島社会の構造にも目を向けました。つまり沖縄を一枚岩の共同体として見ていなかったのです。
セヂは「権力そのもの」ではない
ここで注意が必要です。セヂを、そのまま「政治権力」と置き換えてはいけません。王が軍隊を持っている、役人を任命できる、税を徴収できるという制度的な権力とは別の次元の話だからです。しかし政治を考える上で非常に興味深いのは、権力が制度だけでは成立しないという点です。人々が「この人物には特別な力がある」「この地位には普通の人間とは違う重みがある」と感じるとき、権力には制度を超えた正統性が生まれます。セヂという概念は、そのような権威の感覚を考える手掛かりになります。近代政治でも同じです。憲法や法律だけで政治指導者が動いているわけではありません。有権者は指導者に、能力、人格、血統、苦難の経験、共同体の代表性など、さまざまな象徴的意味を読み込みます。制度上は同じ一票で選ばれた政治家でも、「この人物は沖縄を背負っている」と感じられる人物と、そうでない人物とでは政治的な力が違って見えます。
沖縄政治に残る「人に力を見る」感覚
ここから先は仲原自身の議論ではなく、仲原のセヂ論を現代政治に応用した私の解釈です。沖縄政治を見ていると、政策だけでは説明しにくい現象があります。ある政治家について、基地政策、経済政策、福祉政策を一項目ずつ比較して投票するというより、その人物が「沖縄を代表しているか」「沖縄の苦難を引き受けているか」「権力に屈しない人物か」という象徴的な評価が大きな意味を持つことがあります。これは沖縄だけの現象ではありません。どの社会にもカリスマや象徴政治は存在します。しかし沖縄の場合、王府時代の祭政一致的な伝統、近代以降の日本国家との緊張、沖縄戦、米軍統治、復帰後の基地問題という歴史が重なっています。そのため、政治家に単なる行政能力以上のものを読み込む傾向が強く表れる局面があります。「この人物は沖縄の心を体現している」という言い方は、合理的な政策評価だけでは説明できません。人が人に、政策以上の「力」を感じ取っているのです。もちろん、それを直接セヂ信仰の残存だと断定することはできません。しかし仲原の概念を使えば、沖縄政治における象徴的権威を考える視角が得られます。
なぜ知事が大きな象徴になるのか
沖縄県知事は地方自治体の首長です。本来なら、福祉、教育、産業振興、道路、医療など行政全般を管理する役職です。しかし戦後沖縄政治では、知事がしばしば「沖縄の意思」を対外的に代表する存在となりました。そのため、知事の発言には行政上の権限以上の意味が付与されます。「辺野古に反対する」「政府に抗議する」といった行為が、単なる政策判断ではなく、沖縄全体の尊厳を代表する行為として受け取られることがあります。この構造を考えるとき、セヂという概念は役に立ちます。権力とは制度的権限だけではありません。共同体がその人物に「われわれを代表する力」を認めることで、別の種類の政治的権威が生まれるからです。