レーニンが『哲学ノート』で展開した読書術はビジネスパーソンの役に立つ。

生成AIが要約を代行する時代だからこそ、人間には「何が重要か」を判断する力が求められます。レーニンの『哲学ノート』から、情報を抜き、結び、再利用して自分の判断をつくる読書術を考えレーニンが『哲学ノート』で展開した読書術はビジネスパーソンの役に立つ。
佐藤優 2026.09.15
誰でも

 レーニンというと、ロシア革命を指導した革命家、あるいはマルクス主義の理論家というイメージが強いと思います。しかし、レーニンにはもう一つ、きわめて優れた「読書技術者」という側面があります。そのことがよくわかるのが、『レーニン全集』第38巻に収録されている『哲学ノート』です。『哲学ノート』は、普通の意味での著作ではありません。レーニンが読んだ本から抜き書きをし、その脇に短いコメントを付し、ときには「NB(ノータ・ベネ、よく注意せよ)」と書き込み、感嘆符や疑問符を付け、自分の考えを書き加えた読書ノートです。とりわけ1914~16年にヘーゲル、フォイエルバッハ、アリストテレスなどを集中的に読んだ記録が重要です。『レーニン全集』第38巻の序文も、この時期のノートが『哲学ノート』の中心をなしていることを説明しています。

 ここには、現代のビジネスパーソンにもそのまま応用できる読書法があります。しかも生成AIが急速に普及している現在、レーニンの読書法の意味はむしろ大きくなっていると私は考えます。生成AIを使えば、本の要約を数秒で作ることができます。重要語を抜き出すことも、著者の論理構成を整理することもできます。それならば、人間がわざわざ本を読む必要はなくなるのでしょうか。私は逆だと思います。情報を集め、整理する仕事を生成AIに任せることができるようになったからこそ、「何が重要なのかを判断する」「異なる情報を結びつける」「そこから自分の判断を形成する」という読書の核心部分が以前より重要になるからです。レーニンの『哲学ノート』は、そのための一つの優れたモデルになります。

蔵書を持てない人間の読書法

 レーニンの人生を考えると、この独特な読書法が生まれた理由がわかります。レーニンは革命家でした。逮捕、流刑、亡命、地下活動を繰り返し、ロシア国内外を移動しました。したがって、大学教授のように研究室に大量の蔵書を置き、必要な本をいつでも本棚から取り出すという生活はできませんでした。もちろんレーニンも本を所有していました。しかし、大規模な個人蔵書を研究の基盤にすることは困難でした。そこで図書館を徹底的に利用し、必要な箇所をノートに移し、自分の知識体系の中に組み込むという方法を発達させたのだと思います。

 ここから重要なことが一つわかります。レーニンにとって、読書とは「本を所有すること」ではなかったのです。本を読んだ結果として、必要な情報と論理を自分の頭の中とノートの中に移しておくことが重要でした。これはビジネスパーソンにとってとても参考になります。なぜなら、専門分野に関する本をすべて所有するのは非現実的だからです。さらに現在は、本だけではありません。新聞、雑誌、ウェブサイト、論文、社内資料、メール、動画、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)など、情報源が無限にあります。したがって重要なのは、「何を持っているか」ではなく、「必要な情報をどのように取り出し、自分の知識体系の中に組み込むか」です。その意味でレーニンの読書法は、きわめて現代的なのです。

「読む」と「考える」を分けない

 普通、読書というと、まず本を読み、その後で感想を考え、必要ならノートを取るという順序を想定します。レーニンは違います。『哲学ノート』を見ると、読むこと、抜き書きすること、評価すること、自分の言葉に言い換えることが同時に進んでいます。つまり、「読む→理解する→考える→書く」という直線的な流れではありません。「読む=抜く=評価する=考える=書く」という構造です。

 たとえばヘーゲルを読んでいる最中に、レーニンはヘーゲルの文章をそのまま写すだけでなく、その議論をいったん中断して、自分の言葉で次のようにまとめています。

〈私の考えでは、この議論の要点はつぎの二つである。(1) カントにおいては認識は自然と人間とのあいだに仕切りをする(両者を「隔離する」)。実際には認識は両者を結合するのである。(2) カントにおいては事物にかんする、ますます深くなっていくわれわれの知識の生きいきとした Gang, Bewegung〔進行、運動〕のかわりに、物自体という、空虚な抽象がある。〉

(レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の摘要」、『レーニン全集』第38巻、大月書店、1961年、65頁)

 ここで重要なのは、レーニンがヘーゲルの文章を「覚えよう」としていないことです。ヘーゲルを読みながら、カント認識論の問題点を二つに整理しています。つまり他人の文章を、そのまま頭の中に保存するのではなく、いったん分解し、自分の言葉で再構成しています。この作業を私は読書における「圧縮」と考えます。優れた読書とは、300頁の本を300頁分記憶することではありません。300頁を読んで、「この本で本当に重要なのは三つだ」と言えるようにまとめることです。ただし、その三つを生成AIに選んでもらうだけでは十分ではありません。何を重要と判断するかには、読み手自身の目的が反映されるからです。営業担当者が経済書を読む場合と、経営者が同じ本を読む場合では重要箇所が違います。外交官と投資家が国際政治の本を読んでも、着目点は違います。同じ本を読んでも、「何を抜くか」にその人の問題意識が現れます。

「NB」を付ける

 『哲学ノート』を実際に見ると、「NB」という文字が頻繁に出てきます。ラテン語の nota bene、つまり「よく注意せよ」という意味です。ただし、これは学校の教科書に蛍光ペンで線を引くのとは少し違います。レーニンは何でも重要だと思ってNBを付けているのではありません。後で使える命題、別の問題と結びつく箇所、著者の論理が転換する箇所、あるいは自分自身の理論的関心にとって重要な部分にNBを付けています。

 たとえばヘーゲルの弁証法について、レーニンは次の箇所を強くマークしています。

〈非常に重要だ!! これは、私の考えでは、つぎのことを意味する。

 1) 特定の領域の諸現象のすべての側面、力、傾向等の連関、客観的連関は必然的である。

 2) 「区別の内在的発生」――区別、両極の発展と闘争との内的で客観的な連関。〉

(レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の摘要」、『レーニン全集』第38巻、大月書店、1961年、71頁)

 この箇所の横にはNBがあります。重要なのは、「重要な文章だから保存する」というだけではありません。レーニンはヘーゲルの長い議論から、「連関」と「区別の発生」という二つの論点を取り出しています。ビジネスの読書でも同じことができます。私は、すべての本について詳細な要約を作る必要はないと考えます。むしろ一冊につき三~十か所程度、「ここは後で使える」という部分を選び、それに短いタグを付ける方が有効です。たとえば「NB――価格決定」「NB――中国市場」「NB――組織論」「NB――競合企業の弱点」「NB――この予測は疑わしい」という具合です。これを続けると、自分だけの検索可能な知識体系ができます。

本を複数同時に読む

 レーニンの読書法のもう一つの特徴は、一冊の本を一冊の中だけで完結させないことです。ヘーゲルを読みながらマルクスを参照し、エンゲルスを参照し、フォイエルバッハを参照し、さらにアリストテレスまで遡ります。『哲学ノート』には、「全集第何巻の何頁を参照せよ」という記載が非常に多く見られます。普通の読書では、本が読書の単位になります。「今日はこの本を読む」「今月は五冊読んだ」という数え方をします。レーニンの場合、読書の単位は本ではありません。テーマで読むのです。たとえば「弁証法とは何か」というテーマがある。するとヘーゲルを読む。マルクスを読む。エンゲルスを読む。古代ギリシャ哲学を読む。自然科学の本を読む。必要な箇所を相互に接続する。

 これはビジネスパーソンにとって非常に重要です。たとえば「生成AIによって自分の業界はどう変わるか」を考えるとします。生成AIについて書かれた一冊の本だけを読むのでは足りません。人工知能の技術解説、産業構造論、労働市場、著作権、教育、競合企業の決算資料、海外での導入例などを横断的に読まなくてはなりません。問題を中心に本を読む。すると、本は目的ではなく資料になります。私は、この発想がレーニンの読書法の核心の一つだと考えます。

「どこで変わったか」を読む

 レーニンがヘーゲルを読むとき、結論だけを追っているわけではありません。ある概念が別の概念に移る瞬間に非常に強い関心を持っています。有が無になり、そこから成が生じる。量的変化がある点を超えると質的変化になる。原因が結果になり、その結果が別の原因になる。つまりレーニンは「何であるか」だけでなく、「どのように変化したか」を読んでいます。

 これはビジネスでも極めて重要です。売上高が100億円から105億円になったという数字だけなら、それは単なる情報です。しかし、過去五年間に売上高が90億円、93億円、96億円、100億円、105億円と変化しているなら、そこには傾向があります。さらに、利益率がある年から急に変わったとすれば、「何が起きたのか」を調べなくてはなりません。レーニン式に言えば、数字そのものより差分と転換点を見るのです。

 ある企業について調べる場合も、現在の経営方針だけを読むのではなく、三年前の経営方針と比較する。社長のインタビューを一年前の発言と比較する。そうすると、同じ表現が続いている部分と、突然変わった部分が見えてきます。インテリジェンス分析でも同じです。相手が何を言ったかだけではなく、「以前は言っていたのに今回は言わなかったこと」「これまで使わなかった言葉を突然使い始めたこと」に重要な意味があります。読書も同じです。要約だけを読むと、この「変化」が失われやすいのです。

実践との往復

 レーニンにとって哲学研究は純粋な知的娯楽ではありませんでした。もちろんレーニンには猛烈な知的好奇心がありました。しかし、哲学を読む目的は最終的には現実を理解し、政治的実践に役立てることでした。『哲学ノート』の中に、たいへん興味深いメモがあります。

〈NB

 (1) 普通の実践的作用は、差異と矛盾とを把握するが、差異から矛盾への移行は把握しない。しかしこれはもっとも重要なことである。

 (2) 明敏な悟性は、矛盾を把握し、それを互いに言いあらわし、諸事物を相互関係のうちに入れる。しかし、この矛盾を通じて概念を実現させるが、諸事物とそれらの諸関係との概念を表現しない。〉

(レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の摘要」、『レーニン全集』第38巻、大月書店、1961年、113頁)

 文言は難解ですが、ここには重要な着眼があります。日常的な実践では「AとBは違う」と気づくことはできます。しかし重要なのは、その違いがいつ矛盾になり、矛盾がどのように次の状態を生み出すかを見ることです。ビジネスの世界にも同じことがあります。顧客は安い商品を求める。しかし同時に高品質を求める。企業は人件費を抑えたい。しかし優秀な人材を確保したい。社員には自由に働いてほしい。しかし組織として統制も必要です。こうした矛盾を「どちらかが間違っている」と処理してしまうと、問題の本質を逃します。むしろ矛盾そのものを把握し、その矛盾がどのような新しい解決策を生み出すかを考える。これはレーニンがヘーゲルから学んだ思考法です。

生成AI時代にはどう使うか

 ここからが現在もっとも重要な問題です。生成AIの登場によって、従来型の読書ノートのかなりの部分は自動化できます。本をPDF(携帯文書形式)にして生成AIに読み込ませれば、章ごとの要約を作ることができます。人名を抽出できます。重要語を整理できます。複数の本を比較することもできます。

 私は、ここでレーニン式読書法と生成AIを組み合わせると非常に強力になると考えています。まず本を読みます。すべてを精読する必要はありません。しかし、自分で「NB」を付けます。この判断だけは生成AIに丸投げしない方がよいでしょう。次に生成AIに、そのNBを付けた箇所について、「この文章の論理構造を整理せよ」「この主張に対する反論を三つ挙げよ」「この考えと反対の立場をとる論者を挙げよ」「この議論を現在の日本経済に当てはめると何が言えるか」「この文章と半年前に読んだAという本の議論を比較せよ」などと質問します。すると生成AIは単なる要約機ではなく、読書ノートを増幅する装置になります。

 さらに重要なのは、AIに回答させた後で、自分自身の短いコメントを必ず付けることです。「AI:この著者はXを主張している。自分:しかし日本ではYという条件が違う」「AI:AとBには共通点がある。自分:ただし決定的な違いはCである」という具合です。この「しかし」「ただし」が重要なのです。レーニンの『哲学ノート』も同じです。ヘーゲルの文章の横に、レーニン自身の別の文章が存在します。読書対象と読者のあいだに必ず差分があります。

 生成AI時代には、この差分がさらに重要になります。AIが作った完璧な要約を保存しても、それだけでは自分の知識にはなりません。AIの回答と自分の判断との間に差分を作る。この作業を繰り返すことによって、初めてAIが思考の補助装置になります。

読書量より「再利用率」

 ビジネスパーソンには時間が十分ありません。したがって、年間100冊読むこと自体を目標にする必要はないと思います。重要なのは、一冊の本から得た知識を何度再利用できるかです。一冊読んで終わる人よりも、一冊から五つの重要箇所を抜き、別の本と結びつけ、会議で使い、企画書で使い、半年後にもう一度使う人の方が読書の生産性は高くなります。

 レーニンがその典型です。彼のノートを見ると、一度読んだ文章が別の問題の考察に再登場します。本から情報を「回収」し、それを自分の思考体系の一部として繰り返し使っています。読書の価値は冊数ではなく、知識の再利用率で測った方がよいのです。

 その意味で『哲学ノート』は、100年以上前の文献でありながら、生成AI時代の読書について非常に重要なことを教えてくれます。レーニンの読書法を一言でまとめるならば、「本を記憶するのではなく、本を材料にして考える」ということです。抜き書きをする。NBを付ける。自分の言葉で言い直す。別の本と結びつける。差分を見る。転換点を探す。現実に当てはめる。そして再び本に戻る。

 生成AIによって「要約する」という作業の価値は低下しています。しかし、「何が重要かを決める」「異なる情報を結びつける」「AIの回答に対して、自分はどう考えるかを付け加える」という能力の価値は逆に高まっています。レーニンが『哲学ノート』で行っていたことは、まさにこの作業でした。

 革命家レーニンの思想や政治的実践をどう評価するかとは別に、その読書技術から学ぶことはできます。特に、限られた時間で大量の情報を処理し、そこから自分自身の判断を形成しなくてはならない現代のビジネスパーソンにとって、『哲学ノート』は意外なほど実用的な「読書術の教科書」なのです。

【引用文献】

レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の摘要」、『レーニン全集』第38巻、ソ同盟共産党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所編、マルクス=レーニン主義研究所訳、大月書店、1961年。

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