偏差値で人間の価値は決まらない――福島大学揶揄問題が露呈させた「入学歴信仰」の貧困
福島大学を揶揄したYouTube動画が問題になっています。この問題を、人気ユーチューバーの「失言」や「炎上」として処理してはいけないと思います。そこには、日本社会に根強く残る偏差値信仰と、人間を序列化し、他者への蔑視をカネに換えるインターネットビジネスの病理が表れているからです。『朝日新聞』は、次のように報じています。
〈学歴や偏差値をいじって笑いを取るスタイルで知られるユーチューバーが、福島大学をネタにした動画に対して批判の声が起きている。〉(『朝日新聞』デジタル版、2026年9月1日)
問題となった動画では、福島大学の学生が、原発事故後に同大学で原子力や放射能に関する研究環境が整ってきたと説明したことに対し、出演者が「福島大には触らせたくない」という趣旨の発言をしました。この発言には二重の問題があります。一つは、大学の研究力と入試偏差値を混同していることです。もう一つは、特定の大学やそこに学ぶ学生を「下」に置き、それを笑いに転換する発想です。私は後者の方が、社会的にはより深刻だと思います。
「入学歴」と「学歴」は違う
日本では一般に「学歴」という言葉が使われています。しかし、私の考えでは、日本社会で重視されているもののかなりの部分は、正確には「学歴」ではなく「入学歴」です。この二つを厳密に区別する必要があります。入学歴とは、18歳前後のある一時点で、どの大学の入学試験に合格したかという履歴です。偏差値もそのための指標です。ある試験において、受験生集団の中で自分がどの位置にいるかを見るには便利な数字です。大学が入学者を選抜する以上、何らかの指標は必要でしょう。その意味で、偏差値そのものを全面的に否定する必要はありません。しかし、偏差値が示している範囲を超えて、その数字に意味を持たせてはいけません。偏差値は人間の能力全体を示す数字ではありません。まして、人間の価値を示す数字ではありません。
私は以前から「入学歴」と「学歴」を区別してきました。大学入試の段階でどれほど高い偏差値の大学に入ったかというのは、入学歴にすぎません。本当の学歴とは、その後、大学で何を学んだかです。どのような教師や友人に出会ったか。どんな本を読んだか。専門についてどこまで深く考えたか。外国語をどこまで身につけたか。自分の頭で物事を考える力をどれほど鍛えたか。こちらが学歴です。したがって、偏差値70の大学に入学して4年間ほとんど勉強しなかった人と、偏差値50の大学に入って優れた教師に出会い、専門書を読み、友人と議論し、思考を深め、外国語を学び、卒業論文を真剣に書いた人がいたとすれば、入学歴では前者が上でも、学歴では後者が上になることが十分にあり得ます。18歳時点の受験成績を、40歳、50歳になってまで人格的優越性の根拠にするほど滑稽なことはありません。それは、18歳以降、自分には誇るべき知的成長がありませんでしたと言っているようなものです。
私自身、同志社大学神学部で学びました。当時の神学部は、偏差値競争という観点から見れば、かなり離れているというか、「番外地」的な存在でした(今は合格最低点が経済学部や文学部よりも高いことがあります)。しかし、そこで私は、英語やドイツ語で神学や哲学の原典を読み、一つのテキストを徹底的に分析し、自分の頭で考える訓練を受けました。この訓練は、後に外務省でインテリジェンス分析をする際にも大いに役立ちました。人生で本当に役に立ったのは、大学に入るために覚えた知識よりも、大学に入ってから身につけた思考法でした。
偏差値では大学の研究力を測れない
今回の福島大学に対する揶揄が特におかしいのは、入試偏差値という尺度を大学の研究力にまで適用していることです。松本洋平文部科学相は9月4日の記者会見で、常識的な指摘をしています。
〈大学の研究力については、偏差値を持って判断することは適切ではありません。〉(文部科学省「松本洋平文部科学大臣記者会見録」、2026年9月4日)
その通りです。大学の入試偏差値と、その大学に所属する特定分野の研究者の能力との間に、単純な相関関係があるはずがありません。一つの大学の中でも研究水準は分野によって異なります。特定の研究室が世界的な研究拠点になっていることもあります。しかも福島大学の場合、事情はさらに特殊です。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故を経験した福島に存在する国立大学には、原子力災害、環境放射能、地域復興、防災、再生可能エネルギーなどについて、他地域の大学とは異なる研究上の蓄積があります。福島大学は今回の問題を受けた声明で、原子力災害や環境放射能に関する研究について、
〈福島の経験を科学的に検証し、その成果を国内外に還元していくための重要な研究活動です。〉(国立大学法人福島大学「本学を取り上げたインターネット動画について」、2026年9月1日)
と述べています。ここには、大学というものの本質があります。東京にある大学だからできる研究があります。沖縄にある大学だからできる研究があります。広島にある大学だからできる研究があります。そして、福島にある大学だからこそできる研究があります。大学の価値とは、大学受験予備校が作成したランキング表だけでは測れません。その地域が抱えている問題、研究者の蓄積、設備、国内外のネットワーク、そして学生と教師が長年積み重ねてきた知的営為によって決まります。