沖縄は「正常化」しているのか――プラハの春からビロード革命までの歴史が教えること
沖縄県知事選で基地問題が前面に出なかったことを、「基地より経済を選んだ」と単純化する議論があります。私はこの見方に強い違和感を覚えています。政治的意思が表面から見えなくなることと、その意思が消滅することは同じではないからです。この問題を考えるとき、私は1968年の「プラハの春」がソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍の侵攻によって押し潰された後、チェコスロバキアで進んだ「正常化」の時代を思い起こします。もちろん、沖縄と当時のチェコスロバキアは全く違います。しかし、人々が政治的要求を口にしなくなり、生活の安定へと関心を移していく社会心理には、慎重に検討すべき類似があります。そしてチェコスロバキアでは、その「正常化」の先に1989年のビロード革命が待っていました。
私の本来の専門はチェコ・プロテスタント神学です
私は一般にはロシアやインテリジェンスを専門とする論者として知られています。しかし、本来の専門はチェコのプロテスタント神学です。同志社大学神学部、同大学院で研究した中心人物が、ヨゼフ・ルクル・フロマートカでした。卒業論文も修士論文もフロマートカをテーマに書きました。フロマートカは20世紀チェコを代表するプロテスタント神学者であり、ナチズム、スターリン主義、東西冷戦という巨大な政治的圧力の中で、キリスト教徒が社会主義体制とどのように向き合うべきかを考え続け、行動した人物です。信仰と行為を一致させることを核とするフロマートカ神学の構造からして、私は神学研究を神学書だけを読んで済ませることはできませんでした。純粋にアカデミックなアプローチだけでは、1918年のチェコスロバキア建国、ナチス・ドイツによる解体、第二次世界大戦後の共産党政権成立、スターリン主義、1968年のプラハの春、ソ連軍侵攻、そしてその後の「正常化」を理解しなければ、彼の思想の意味を捉えることができません。私にとってチェコの20世紀政治史は、学生時代だけの研究対象ではありません。現在も研究を続けているテーマです。
フロマートカについて考えるとき、特に重要なのが1968年です。彼は社会主義そのものを否定する反共主義者ではありませんでした。むしろ社会主義の中に、人間を疎外から解放する可能性を見ようとしていました。しかし、社会主義が人間の自由を圧殺する官僚的体制になれば、それを批判しなくてはならないと考えました。その意味で、プラハの春を生み出した知的・精神的環境の形成に、フロマートカも深く関わっています。そして1968年8月、ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻すると、フロマートカはこれに強く抗議しました。私が学生時代から繰り返し考えてきたのは、なぜ社会主義に一定の共感を持っていた神学者が、同じ社会主義陣営による軍事介入にこれほど激しく抗議したのかという問題です。答えは単純です。国家やイデオロギーよりも、人間の自由と尊厳の方が重要だったからです。
「正常化」とは何だったのでしょうか
プラハの春が軍事力によって押し潰された後、チェコスロバキアではグスタフ・フサークを中心とする体制が成立しました。この時代は一般に「正常化」と呼ばれます。この「正常化」という言葉ほど政治的な言葉はありません。何を正常と考えるかによって、その意味が全く変わるからです。ソ連とチェコスロバキア共産党指導部にとっては、1968年以前の政治的秩序へ戻すことが「正常化」でした。しかし、改革を求めていた市民にとって、それは正常への復帰ではなく、自由の封殺でした。
もっとも、「正常化」をスターリン時代のような大規模な恐怖政治と同じものとして理解すると、本質を見誤ります。確かに改革派は党や職場から排除されました。大学や研究機関、新聞、放送、文化界でも粛清が行われました。プラハの春に関係した人々は職を失い、社会的地位を奪われました。しかし、社会全体を永久に恐怖だけで統治することはできません。フサーク体制が人々に事実上提示したのは、一種の暗黙の取引でした。政治に深く関わらない。体制を正面から批判しない。その代わりに、家庭を持ち、仕事をし、週末には別荘へ行き、一定の消費生活を享受することを認める。つまり、政治から退却して私生活へ閉じこもれば、それなりに平穏な人生を送ることができたのです。
ここが重要です。人々が政治について語らなくなったからといって、ソ連軍の侵攻を正しかったと思うようになったわけではありません。共産党体制に心から同意したわけでもありません。多くの人々は、政治的要求を表明しても何も変わらないという経験の中で、生活を守る方へ重心を移したのです。私は、この状態を単純な「諦念」と呼ぶことには少し抵抗があります。むしろ「我慢」に近い場合があるからです。
沖縄の沈黙を同意と取り違えてはいけません
ここで現在の沖縄を考えてみたいと思います。もちろん、沖縄と正常化時代のチェコスロバキアを同一視することはできません。日本には自由な選挙があります。言論の自由もあります。沖縄県民は政府を公然と批判できますし、基地政策に反対する候補者を選ぶこともできます。当時のチェコスロバキアのような一党独裁体制ではありません。この違いを無視した類比は、歴史を歪めるだけです。
しかし、社会心理の一部には比較する意味があります。沖縄県民は長年、選挙や県民投票を通じて辺野古移設への反対意思を繰り返し示してきました。それでも日本政府の基本政策は変わりませんでした。裁判でも県側は厳しい状況に置かれ、工事は進んでいます。政治的意思を何度表明しても政策が変わらない。そういう経験が何年も積み重なれば、人々が「この問題について声を上げ続けても現実は変わらない」と感じるようになるのは不思議ではありません。
そこで生活の問題が前面に出てきます。物価高、県民所得、子育て、教育、医療、観光、交通。これらはいずれも県民にとって切実な問題です。だから、知事選で「経済」を重視する人が増えること自体は何ら不思議ではありません。しかし、ここから「沖縄県民は基地より経済を選んだ」と結論づけることには慎重でなくてはなりません。基地問題について声を上げなくなったことと、基地を容認したことは同じではないからです。辺野古反対の人が古謝玄太氏に投票することもあり得ます。基地には反対だが、今回の知事選では経済政策をより重視するという人もいるでしょう。辺野古移設を止めることが現実には極めて難しいと判断し、それでも自分たちの生活を改善するために別の候補へ投票する人もいるはずです。人間の政治的選択は、それほど単純ではありません。沖縄の沈黙を同意と取り違えてはいけません。