イスラエルの「生存の論理」から中東を読み直す――停戦、イラン、ホルムズ海峡を貫く安全保障の現実

中東情勢を理解するには、イスラエルの行動を外側から道徳的に裁くだけでは不十分です。停戦、イラン核問題、ホルムズ海峡を貫くのは、国家消滅を避けるという「生存の論理」です。その内在的論理から中東を読み直します。
佐藤優 2026.09.14
誰でも

 中東情勢について日本で語られるとき、イスラエルはしばしば「圧倒的な軍事力を持つ強者」として描かれます。ガザの惨状やパレスチナ人の苦境が報じられる以上、その軍事行動が厳しく問われるのは当然です。私も、ガザの人道危機は極めて深刻であり、民間人の犠牲をこれ以上増やしてはならないと考えます。しかし、人道上の懸念を表明することと、イスラエルがなぜそのように行動するのかを理解することは、決して矛盾しません。むしろ、イスラエルの内在的論理を理解しなければ、実効性のある停戦も和平も構想できないと思います。

 イスラエルの政策を外側から道徳的に裁断するだけでは、現実を動かすことはできません。イスラエルは建国以来、自国の消滅を公然と主張する勢力に囲まれてきたという歴史認識を持っています。国土は狭く、戦略的縦深性も限られています。一度の大規模な防衛失敗が、通常の国家における局地的敗北ではなく、国家そのものの存続危機につながりかねません。この実存的な恐怖を、誇張された被害者意識として片付けてはなりません。2023年10月7日のハマスによる大規模テロは、イスラエル社会にとって、過去の恐怖が現在の現実になり得ることを示した出来事でした。

武装解除が先、撤退が後という「順序」

 ガザをめぐる交渉の核心は、和平に賛成するか反対するかではなく、何をどの順序で実行するかにあります。8月8日付「朝日新聞」デジタル版は、ネタニヤフ首相と会談した平和評議会のムラデノフ上級代表が「撤退は武装解除の完了後だ」と表明したと伝えました。また、同紙の8月9日付記事によれば、ネタニヤフ首相は「ハマスが武装解除されるまで、イスラエル軍は一切撤退しない。見せかけの武装解除ではなく、真の武装解除だ」と強調しました。この言葉には、イスラエルの安全保障認識が凝縮されています。

 外部から見れば、まず戦闘を止め、イスラエル軍が撤退し、その後に政治交渉と武装解除を進める方が人道的に映ります。しかし、イスラエルから見れば、その順序は危険です。軍が先に撤退した後、ハマスが武器、地下トンネル、指揮系統を温存すれば、停戦期間は次の攻撃のための準備期間になりかねないからです。実際、イスラエル社会では、ハマスの約束だけを安全保障の根拠にすることはできないという認識が広く共有されています。

 したがって必要なのは、イスラエルに無条件の先行撤退を迫ることではありません。国際的な監視の下で、重火器の引き渡しだけでなく、武器庫、地下施設、資金経路、指揮命令系統まで対象とする、検証可能で不可逆的な武装解除を実施し、その進展と連動してイスラエル軍を段階的に撤退させる仕組みです。停戦違反を誰が認定し、誰が武装解除を検証し、再武装が判明した場合に誰が実力をもって阻止するのかまで定めなくてはなりません。

 和平は、戦闘が一時的に止まった状態と同義ではありません。イスラエル国民が再び10月7日のような攻撃を受けないと確信でき、同時にパレスチナの民間人が恒常的な戦争状態から脱することのできる秩序をつくることです。ハマスの軍事機構を温存したまま停戦だけを実現しても、ガザ住民を次の戦争から救うことにはなりません。ハマスの武装解除はイスラエルだけの利益ではなく、パレスチナ社会を武装組織の支配と戦争の循環から解放するためにも必要です。

「二国家解決」を呪文にしてはならない

 同じ問題は、パレスチナ国家の承認をめぐる議論にも現れます。欧州諸国やカナダは「二国家解決」を強調しますが、理念を唱えるだけでは国家は成立しません。国家には領域、住民、統治機構だけでなく、領域内で暴力を独占し、治安を維持する能力が必要です。西岸全域をパレスチナ自治政府が実効的に統治できず、ガザでハマスが独自の武力を保持する状態のまま承認だけを先行させれば、「国家の中の国家」が生まれます。それは安定したパレスチナ国家ではなく、複数の武装主体が並立する不安定な構造になりかねません。

 8月21日付「朝日新聞」デジタル版は、E1地区で入植地建設が進めば、西岸が南北に分断され、東エルサレムも他地域から切り離される可能性があると報じました。確かに入植政策にはイスラエル国内にも強い異論があります。スモトリッチ財務相による、パレスチナ国家という考えを葬り去るとの趣旨の発言は挑発的であり、私は支持しません。しかし、個々の政治家の発言への批判と、イスラエルが直面する客観的な安全保障問題は区別すべきです。

 イスラエル側から見れば、E1はエルサレムとマーレアドミムを結び、首都防衛とヨルダン渓谷方面からの脅威への備えに関わる戦略地域です。パレスチナ人の移動経路は道路やトンネルによって確保する余地もあります。建設計画の是非は最終的な国境、安全保障措置、交通の連続性を一体として交渉すべきであり、一方の政治的主張だけを確定した地理的事実として扱うべきではありません。国際司法裁判所の勧告的意見も法的拘束力を持つ判決ではなく、それだけで国境線が画定するわけではありません。

 イスラエルに領土的妥協を求めるならば、外部の国々は同時に、妥協後の領域がイスラエル攻撃の拠点にならないという実効的な代案を示す責任があります。安全保障の保証を曖昧にしたまま、イスラエルだけに「勇気ある譲歩」を求めるのは無責任です。二国家解決を本当に目指すなら、パレスチナ側における統治の一元化、ハマスの武装解除、イスラエル国家の承認を避けて通ることはできません。

イランの核問題は通常の外交案件ではない

 イスラエルの内在的論理がさらに鮮明になるのが、イランへの対応です。日本や欧州にとってイラン核問題は、不拡散体制、原油価格、海上交通、地域安定をめぐる重要な外交案件です。しかしイスラエルにとっては、自国の生存に直結する問題です。イランが核兵器を実際に保有する場合だけでなく、短期間で製造できる「核敷居国」の地位を確立することも、イスラエルは重大な脅威と見ます。

 核施設の一部を破壊しても、脅威が自動的に消えるわけではありません。技術、人材、資金、弾道ミサイル能力、革命防衛隊の組織が残れば、時間と資源を得たイランは軍事能力を再建できます。そのためイスラエルが重視するのは、一度の軍事的成果よりも、再建を阻む長期的な仕組みです。制裁解除は、核開発の停止、厳格な査察、ミサイル能力への制約など、検証可能な措置と連動させなくてはなりません。

 米国とイスラエルは同盟国ですが、両国の利害は常に完全に一致するわけではありません。8月10日付「朝日新聞」デジタル版は、トランプ政権が当初は核問題を協議の軸に据えながら、足元ではホルムズ海峡の開放に向けた議論を重視していると伝えました。米政権には、中間選挙を前に海峡の通航を回復し、ガソリン価格を引き下げたいという国内政治上の事情があります。他方、イスラエルにとって短期的な石油価格の安定は、イランの核・ミサイル能力の再建阻止より上位の目標ではありません。

 イラン側も米国の時間的制約を理解し、ホルムズ海峡を交渉材料にして、賠償や制裁解除を求めます。ここで海峡の早期開放だけを優先すれば、イランに資金と時間を与え、数年後により大きな安全保障上の代償を払うことになりかねません。イスラエルが米国に圧力の維持を求めるのは、好戦性の表れではなく、不完全な合意によって脅威が先送りされることへの警戒です。

制裁は体制崩壊ではなく能力の抑制のため

 8月25日付「朝日新聞」デジタル版は、制裁強化でイランの対中輸出と代金回収が滞れば、大きな収入源を失いかねないと報じました。中国はイラン原油の最大の買い手であり、UAEは物資供給と金融取引の重要な中継地点です。この経路が細れば、イランの経済と国家財政は大きな圧力を受けます。

 ここで目的を明確にする必要があります。経済制裁の目的は、石油収入や国際決済を制限し、核・ミサイル開発、革命防衛隊の軍事能力、代理勢力への支援に利用できる資金を減らすことです。体制崩壊を無限定に追求すれば、国家の瓦解、難民の増加、過激派の伸長を招くおそれがあります。目標は、核・ミサイル開発の費用を引き上げ、テヘランを実効性ある合意に戻すことです。

 もちろん、圧力を受けたイランが譲歩するとは限りません。ホルムズ海峡の封鎖や周辺国への攻撃によって対抗する危険もあります。したがって制裁は、軍事的抑止、厳格な履行監視、外交的出口を組み合わせて運用しなくてはなりません。オマーンのように、米国、湾岸諸国、イランのいずれとも対話できる国の役割が重要になります。イスラエルにとってオマーンは同盟国ではありませんが、危機が深刻になるほど価値を増す「対話の回路」です。強い抑止と対話は対立概念ではありません。信頼できる抑止があるからこそ、対話が単なる時間稼ぎに終わるのを防げます。

日本がホルムズ海峡を見る際の盲点

 日本は原油輸入の約9割をホルムズ海峡経由に依存してきました。したがって、自由で安全な航行を早期に回復させたいと考えるのは当然です。茂木外相はオマーンで、「いかなる追加的費用もない形での自由で安全な航行の確保が重要だ」と強調したと、8月20日付「朝日新聞」デジタル版は伝えています。この主張は日本の国益にかなっています。

 しかし、イスラエルの視座から見ると、問題の順序が異なります。ホルムズ海峡の不安定化は、それだけで独立した海運上の事故ではなく、イランをめぐる安全保障危機の結果です。日本にとって海峡は石油と物流の問題ですが、イスラエルにとってはイランの核・ミサイル能力と連動する国家生存の問題です。海峡だけを紛争前の状態に戻そうとすれば、危機の原因に対処しないまま、イランに対する重要な圧力を緩和することになります。

 日本外交は、イスラエルに自制を説き、イランに航行正常化を求めるだけでは不十分です。米国、イスラエル、湾岸諸国が受け入れられる核・ミサイル問題の枠組みをつくり、その成果として海峡を正常化するという順序で考える必要があります。同時に、オマーンの仲介を尊重し、エネルギー調達先と輸送経路を多角化しなければなりません。日本の経済的利益とイスラエルの安全保障上の利益を対立させるのではなく、イランの威嚇によって国際海峡が人質に取られない秩序を共通目標に据えるべきです。

多極化する中東でイスラエルを孤立させない

 中東の安全保障秩序そのものも変化しています。8月8日付「朝日新聞」デジタル版が伝えたサウジアラビア、トルコ、パキスタンの協定は、三カ国のいずれかへの武力攻撃をすべてに対する攻撃とみなす内容です。これが直ちにパキスタンの「核の傘」を意味するわけではありません。しかし、サウジの資金力、NATO加盟国トルコの通常戦力と防衛産業、パキスタンの核抑止力が結び付けば、イスラム圏独自の安全保障機構へ発展する可能性があります。米国一極型だった中東秩序が、多極化している兆候です。

 この変化をイスラエルに対する包囲網にしてはなりません。新しい地域的枠組みがイスラエルの安全を脅かす方向に進めば、イスラエルは自国だけで抑止力を確保しようとし、先制攻撃への誘因が強まります。反対に、イスラエルを正当な地域国家として組み込み、イランの核武装阻止、海上交通の安全、越境テロの抑制を共有目標にできれば、多極化は不安定化ではなく均衡の形成につながります。アブラハム合意が示したように、イスラエルとアラブ諸国の利害は常に対立するわけではありません。イランの覇権的行動への警戒、先端技術、エネルギー、水資源、経済開発など、協力できる分野は多くあります。

 日本も「イスラエル対イスラム世界」という古い二項対立から脱する必要があります。イスラエルとの関係を強化しながら、湾岸諸国、トルコ、オマーンとの信頼を維持することは可能です。むしろ各国と対話できる日本だからこそ、イスラエルの安全保障上の懸念をアラブ・イスラム諸国に伝え、同時に地域諸国の懸念をイスラエルに伝える役割を果たせます。その際も出発点になるのは、イスラエルの安全を交渉の代価として扱わないという明確な姿勢です。

イスラエルを理解することが和平への出発点

 当然のことですが、イスラエルの政策も多くの過ちを含んでいます。入植政策にも、軍事作戦の方法にも、政権内の過激な言動にも批判されるべき点があります。しかし、個別政策への批判と、イスラエル国家が安全に存続する権利を否定することは別です。イスラエルを一方的な加害者として描き、その恐怖や安全保障上の計算を無視すれば、イスラエル社会は国際社会の提案を、自国にのみ危険を引き受けさせる要求だと受け止めるでしょう。それでは妥協を促すどころか、強硬論を強めます。

 重要なのは、イスラエルの内在的論理を理解することです。それはイスラエル政府のあらゆる行動を無条件に支持することではありません。相手が何を恐れ、何を譲れない一線と考え、どのような保証があれば政策を変更できるのかを、相手の立場から把握することです。外交とは、自分の正義を宣言することではなく、異なる正義と恐怖を持つ当事者の行動を予測し、現実に機能する合意を組み立てる作業です。

 ガザでは、検証可能なハマスの武装解除と段階的なイスラエル軍撤退を連動させる必要があります。パレスチナ国家については、承認の時期だけでなく、統治の一元化と治安能力を構築しなくてはなりません。イランについては、核・ミサイル能力の再建を防ぐ圧力と査察を維持しながら、オマーンなどを通じた外交的出口を残すべきです。ホルムズ海峡の正常化も、地域の脅威を放置した応急措置ではなく、その脅威を抑える包括的合意の結果として実現させる必要があります。

 人道と安全保障のどちらか一方だけを選ぶ必要はありません。持続可能な人道的秩序は、安全保障の裏付けがあって初めて成立します。イスラエルにとっての「安全」は抽象的な政策目標ではなく、国家と国民が明日も存在するための条件です。この生存の論理を正確に理解し、その懸念を満たす制度を構想することこそ、中東和平に近づく現実的な第一歩なのです。

                              (了)

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