宇野弘蔵の後継者はなぜ「歴史主義」と「論理主義」に分かれたのか――宇野経済学の内部にあった二つの可能性
宇野弘蔵の中には最初から二つの方向があった
宇野弘蔵の経済学を一つの完成された体系として理解すると、その後の宇野学派の分化が分かりにくくなります。宇野は原理論、段階論、現状分析という三つの研究次元を区別しました。原理論では、商品、貨幣、資本から始めて、資本主義社会が商品経済の論理によってどのように自律的に再生産されるかを明らかにします。段階論では、重商主義、自由主義、帝国主義という資本主義の歴史的発展の型を分析します。そして現状分析では、それぞれの国と時代の具体的な資本主義を分析します。筑波大学の宇野弘蔵文庫が宇野学派の展開を紹介するページでも、後継者が原理論、段階論、現状分析のそれぞれで宇野理論を継承、発展させてきたことが整理されています。https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/unobunko/unogakuha.html 宇野経済学の独創性は、この三つを単純に連続させなかったことにあります。マルクスの『資本論』から直接19世紀、20世紀、21世紀の現実を説明するのではありません。原理論と現状分析のあいだに段階論という中間項を置きました。しかし、ここには初めから一種の緊張があります。原理論はどこまで歴史から独立した「論理」なのでしょうか。それとも原理論そのものが、資本主義の歴史的発展から抽象されたものなのでしょうか。この問題について、宇野自身には両方の契機があります。だから宇野の死後、後継者たちは大きく二つの方向に分かれていきました。私はこれを便宜上、「歴史主義」と「論理主義」と呼びたいと思います。ただし、これは明確な二つの党派が存在したという意味ではありません。それぞれの研究者の中に両方の契機があります。そのうえで、どちらに重心を置くかによって宇野経済学の姿が大きく変わったということです。