神の「像」と「似姿」は何が違うのか――マイエンドルフの神化論から考える人間の尊厳
東方正教会は人間をどのように理解するのでしょうか
東方正教会の神学者ジョン・マイエンドルフ(John Meyendorff、1926~1992年)は、20世紀の正教神学を代表する研究者の一人です。ロシア系の神学者で、米国の聖ウラジーミル正教神学院で教鞭を執り、特に14世紀のビザンツ神学者グレゴリオス・パラマスの研究とビザンツ神学の再評価に大きな貢献をしました。マイエンドルフの神学を理解するうえで重要なのが、旧約聖書の創世記1章26節に記された「神の像」と「神の似姿」の関係です。東方教父の伝統では、両者を区別する解釈が発展しました。マイエンドルフもこの伝統を重視していますが、像と似姿を人間の内部に存在する二つの独立した要素として理解しているわけではありません。
マイエンドルフが解釈する東方教父神学では、「像」と「似姿」は同じ神と人間の関係に根拠を持ちながら、異なる側面を強調しています。「像」は創造によって与えられた人間の存在と可能性を、「似姿」は神との交わりの中で実現される完成と神化を示しています。ただし、これはマイエンドルフが紹介する東方教父の伝統を総合した整理であり、すべての教父が同じ用語法を採用していたという意味ではありません。今回は、この二つの概念の共通性と差異を検討し、カール・バルトやヨゼフ・ルクル・フロマートカの神学とも比較しながら、現代社会における人間の尊厳について考えたいと思います。