岡本三成・公明党新代表が語った「日本国籍」――民族とはルーツではなく、自己意識と生き方である
記者会見で国籍について問われた
10月3日、公明党全国大会で岡本三成衆議院議員が新代表に就任しました。大会終了後、岡本氏は新執行部の記者会見に臨みました。この会見の模様は公明党の公式YouTubeチャンネルで公開されています。「2026/10/3 公明党全国大会終了後 新役員記者会見」(https://www.youtube.com/watch?v=jB7K0AzTOM4)です。
この記者会見で、私はきわめて印象深いやりとりがあったと思います。岡本氏の国籍について質問が出たのです。質問者は、インターネット上で岡本氏について日本人ではないのではないかという話が出ていることに触れました。政治家、とりわけ政党代表にとって、こうした問いは答え方の難しい質問です。答えをぼかすことも、質問そのものを批判することもできたでしょう。しかし岡本氏はそうしませんでした。
「在日韓国人三世として生まれた」
岡本氏はまず、自分は日本国籍を持つ日本人であると明言しました。そのうえで、1965年に佐賀県で在日韓国人三世として生まれたこと、祖父母が韓国から日本に移住したこと、自らは日本で育ったことを説明しました。そして、大学を卒業する時に日本国籍を取得したという経緯を、自らの言葉で語りました。ぜひ実際の映像を見ていただきたいと思います。公明党公式YouTube「2026/10/3 公明党全国大会終了後 新役員記者会見」(https://www.youtube.com/watch?v=jB7K0AzTOM4)。
岡本氏の公式プロフィールによれば、1965年に佐賀県で生まれ、1989年に創価大学を卒業し、同年シティバンクに入社しています(https://www.komei.or.jp/about/profile/)。したがって、「大学卒業のタイミングで日本国籍を取得した」という岡本氏自身の説明に従えば、国籍取得は1989年前後だったと考えるのが自然です。
しかし、ここで私が注目したいのは、国籍を取得した正確な年月日ではありません。むしろ岡本氏が、自分の生い立ちを隠すことなく、自分はどのように生まれ、どこで育ち、なぜ日本人として生きることを選択したのかを、自分自身の言葉で説明したことです。
民族とは血統だけでは決まらない
民族とは何でしょうか。民族という言葉を血統や祖先の出身地だけで定義することはできません。もちろん、歴史、言語、宗教、文化、共同体の記憶といった要素は重要です。しかし人間の民族的帰属を、祖父母や曾祖父母がどこで生まれたかという一点に還元してしまえば、本人の意思も、その人が実際に生きてきた社会との関係も無視することになります。
民族には自己意識という契機があります。自分を何者だと考え、どの共同体の一員として責任を負い、どの社会の未来を自分自身の未来として引き受けるのかという問題です。これは単なる主観ではありません。その人がどのように生きてきたかという客観的な履歴と結びついています。岡本氏は佐賀県で生まれ、日本の学校で学び、日本社会の中で生活し、日本で働き、日本の国会議員となりました。そして本人の説明によれば、大学を卒業するときに、これからも日本で生きていくという意思のもと、日本国籍を取得しました。
この事実を前にして、「祖父母が韓国出身だから日本人ではない」という議論をするのは適切ではありません。それは国籍という法的事実を無視するだけではなく、本人の自己意識と生き方を無視することになります。
ソ連で見てきた「民族籍」の現実
私はソ連やロシアを長年見てきたので、この問題には特に敏感です。ソ連では民族という問題が政治ときわめて深く結びついていました。ソ連時代には民族籍が重要な社会的カテゴリーとして機能し、ロシア人、ウクライナ人、ユダヤ人、アルメニア人などという分類が、ときとして本人の人生に現実的な影響を与えました。しかし、現実の人間はそんな単純な分類には収まりません。複数の民族的背景を持つ人もいれば、祖先の民族と本人の自己認識が一致しない場合もあります。
だからこそ私は、民族を生物学的な血統論に還元してはならないと考えています。民族は「血」だけで決まるものではありません。歴史的な共同体への帰属意識、その社会の文化や言語との関係、そして何よりも本人がどの共同体の一員として生きようとしているかという意思が重要です。
ルーツと現在の自己認識は矛盾しない
岡本氏の今回の発言は、その意味で非常に興味深いものでした。岡本氏は自分のルーツを否定していません。在日韓国人三世として生まれたことを自分から説明しています。同時に、現在の自分については、日本国籍を持つ日本人であることも明確にしています。この二つは少しも矛盾しません。自分のルーツを認識することと、自分が現在属している国家や社会への帰属意識を持つことは完全に両立します。
それ以上に私が重要だと思ったのは、このような質問を突きつけられたときの岡本氏の態度です。出自や国籍をめぐる質問は、答え方を誤れば容易に感情的な論争になります。岡本氏は質問をかわしませんでした。自分の生い立ちを説明し、日本国籍を取得するに至った経緯についても率直に語りました。私は、その誠実な応答に強い印象を受けました。何かを隠そうとするのでもなく、逆に質問者を攻撃するのでもなく、自分がどういう人間なのかを自分の言葉で説明したからです。実際のやりとりを確認すると、そのことがよく分かります(公明党公式YouTube、https://www.youtube.com/watch?v=jB7K0AzTOM4)。
公明党の人間主義が表れた人事
私はここに、公明党が重視してきた人間主義の一つの表れを見る思いがします。政治の世界では、ともすれば人間をカテゴリーで見る傾向があります。保守か革新か、与党か野党か、日本人か外国人か、多数派か少数派か。しかし実際の人間は、そのような分類よりもはるかに複雑です。人間をまず一人の人格として見る。そのうえで、その人が何を考え、何を選択し、どのように生きているかを見る。公明党がこれまで強調してきた「一人を大切にする」という人間主義には、このような発想があると私は理解しています。
その意味では、岡本氏を新しい代表に選んだという人事そのものにも、公明党という政党の人間主義的な性格が現れているように私には思えます。もちろん政治家は、その出自によって評価されるべきではありません。韓国にルーツがあるから肯定的に評価するのも、否定的に評価するのも、ともに誤りです。政治家について問われるべきなのは、その人物が何を考え、どのような政策を掲げ、現実に何を行うかです。
しかし、在日韓国人三世として生まれ、日本国籍を取得し、日本社会の中で生きてきた人物を、出自を理由に特別扱いすることなく政党の代表に選ぶ。それは日本社会が成熟していくうえで意味のあることだと思います。
民族とは自己意識と生き方である
民族とはルーツそのものではありません。自分の祖父母がどこの出身だったかという事実は、その人間を構成する重要な要素の一つです。しかし、それだけでその人が何民族であるか、何者であるかが自動的に決まるわけではありません。本人が自分をどのように認識しているのか。どの社会で生き、どの社会に責任を負い、誰と運命をともにしようとしているのか。民族を考える際には、本人の自己意識と実際の生き方を抜きにすることはできません。
岡本氏の会見での発言を聞いて、私は改めてそのことを考えました。
岡本新代表の今後に期待する
政治家としての岡本三成氏については、もちろん今後の政策と行動を見ていかなければなりません。公明党が掲げる中道政治をどのような形で具体化するのか。物価高、社会保障、外交・安全保障、さらに自民党との距離や野党との協力をどう構築するのか。新代表として難しい課題が山積しています。
そのうえで私は、今回の会見で、自らの出自について尋ねられた岡本氏が質問から逃げず、誠実に答えたことに強い印象を受けました。そして、多様な背景を持った一人の人間を代表として選んだ公明党の人事にも、同党の人間主義の一面を見ることができると思います。
民族とは「血」ではありません。ルーツだけでもありません。どこで生き、誰とともに生き、自分は何者としてその社会に責任を負うのか。自己意識と、その人自身の生き方が重要なのです。
私は、公明党新代表となった岡本三成氏が、今回の記者会見で示した率直さを政治活動においても貫くことを期待しています。そして、岡本氏がどのような中道政治、人間主義の政治を具体化していくのか、その活動に注目していきたいと思います。
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