ロシアはなぜ「まだ上昇期にある」と考えるのか――レフ・グミリョフの「熱情理論」から現在の政治エリートを読む
グミリョフとは何者か
現在のロシア政治を理解するうえで、レフ・ニコラエヴィチ・グミリョフ(1912~1992年)は無視できない思想家です。父は詩人ニコライ・グミリョフ、母は20世紀ロシアを代表する詩人アンナ・アフマートヴァです。本人はスターリン時代に長期間収容所に入れられ、ソ連の主流学界からも長く異端視されていました。ところがソ連末期から著作が爆発的に読まれるようになり、ソ連崩壊後にはロシアだけでなくカザフスタンなど旧ソ連圏で巨大な影響力を持つようになりました。研究者マーク・バシンが指摘しているように、グミリョフの著作はソ連崩壊後、ロシアの民族観、ユーラシア観、国家観を考える重要な知的資源となり、プーチン大統領を含む政治指導者にも影響を及ぼしてきました。
グミリョフの議論は非常に独特です。歴史学、民族学、地理学、生物学を組み合わせ、「民族(エトノス)」を単なる政治的・文化的な集団ではなく、一種の生命体のように捉えました。民族は誕生し、成長し、最盛期を迎え、やがて活動力を失い、衰退する。その盛衰を動かすエネルギーとして彼が考えたのが、「パッシオナールノスチ(пассионарность)」です。日本語では「熱情」「情熱性」「激情性」などと訳すことができますが、普通の意味での情熱とは少し違います。本稿では分かりやすく「熱情」と呼ぶことにします。
「熱情」とは何か
グミリョフの熱情理論を難しく考える必要はありません。一言でいえば、人間が自分自身の安全や利益を超えて、何か大きな目的のために行動しようとするエネルギーのことです。普通の人なら「そんな危険なことをして何になるのか」と考えるところで、それでも行動する人間がいる。未知の土地へ向かう探検家、新しい国家をつくろうとする革命家、巨大な帝国を築こうとする征服者、命をかけて信仰を広げる宗教家、損得を超えて新しい発見に挑む科学者などです。グミリョフは、こうした人間を「パッシオナリー」、つまり熱情を強く持つ人間と考えました。
重要なのは、この熱情を個人だけの性質と考えなかったことです。ある時期に、このような人間が特定の集団の中に多く現れると、民族全体が動き始める。その民族は新しい土地へ進出し、新しい国家をつくり、新しい文化を生み出します。反対に熱情が弱まると、人々は危険を冒さなくなり、すでに獲得した富や秩序を守ることを優先するようになる。さらに衰退すると、「共同体の未来」よりも「自分が楽に暮らせればよい」という心理が強くなる。グミリョフは、このエネルギーの増減によって民族の歴史的盛衰を説明しようとしました。彼の体系では、民族形成から上昇、最盛期、破断、惰性、衰退へという長い周期が想定されています。
グミリョフは熱情が生じる原因について、宇宙的・生物学的な仮説まで展開しました。この部分は現代科学によって実証されたものではありません。民族を一種の生物学的実体として扱うことにも、民族学や歴史学から強い批判があります。したがって、グミリョフの理論を自然科学の法則として受け入れるべきではありません。むしろ重要なのは、その理論が正しいかどうかとは別に、この理論を使って世界を見ている政治家が存在するという事実です。