岡本三成・公明党新代表が語った「日本国籍」――民族とはルーツではなく、自己意識と生き方である 訂正版

公明党の岡本三成新代表が、自身のYouTube番組で、在日韓国人三世として生まれ、日本国籍を取得した経緯を率直に語りました。民族や国籍は血統だけでは決まりません。本人の自己意識と生き方から考える必要があります。
佐藤優 2026.10.04
誰でも

お詫びと訂正

 本日、本稿で、岡本三成・公明党新代表が自身の国籍やルーツについて説明したのは、10月3日の公明党大会後の記者会見だったと記しましたが、これは私の勘違いでした。正しくは、岡本氏自身のYouTube番組「10/3 Vol.20 岡本みつなりの深夜ライブ【金融ロードショー】」での発言です。該当部分は21分8秒ごろからです。https://www.youtube.com/watch?v=LdQogvuaGQQ 事実関係を誤って記したことをお詫びし、訂正します。なお、以下で述べる岡本氏の発言内容に対する私の評価、ならびに民族、国籍、人間主義についての考察そのものに変更はありません。

岡本新代表が自ら語った国籍とルーツ

 10月3日、公明党は党大会を開き、岡本三成衆院議員を新代表に選出しました。私が注目したのは、岡本氏が同日、自身のYouTube番組で、自らの国籍とルーツについて語ったことです。私自身、当初これを党大会後の記者会見での発言だと勘違いしていました。実際には、岡本氏のYouTube番組「岡本みつなりの深夜ライブ【金融ロードショー】」の中で語られたものです。この点は訂正しなければなりません。もっとも、発言が記者会見でなされたのか、自身の番組でなされたのかによって、その内容の重要性そのものが失われるわけではありません。むしろ本人が自らの言葉で、自身のルーツと国籍取得の経緯を説明しているという点では、重要な意味を持っています。

 岡本氏は、在日韓国人三世として生まれ、大学卒業時に日本国籍を取得した経緯について説明しています。出自や国籍をめぐる問いは、日本社会では非常に繊細な問題です。場合によっては、質問する側も答える側も感情的になり、議論が人格攻撃やレッテル貼りに変質することがあります。そのなかで、岡本氏は質問から逃げませんでした。自らのルーツを隠すこともなければ、逆にそれを政治的に誇張することもありません。自分がどのような家庭に生まれ、どのような経緯で日本国籍を取得し、その後、日本人としてどのように生きてきたのかを、自分自身の言葉で説明しています。私はこの姿勢を立派だと思います。

政治家を血統で評価してはならない

 政治家にとって、自らの出自をどのように説明するかは簡単な問題ではありません。とりわけ国籍や民族に関する話題は、ネット空間ではしばしば排外主義や陰謀論と結びつきます。政治家が説明を避ければ「何か隠している」と言われ、説明すれば説明したで、今度はその言葉の一部だけが切り取られる。そのような環境にあります。しかし、民主主義政治において最終的に問われるべきなのは、その人物がどのような血統を持つかではありません。どのような政治理念を持ち、どの国家に帰属意識を持ち、どのような社会をつくろうとしているのかです。

民族は血統だけでは決まらない

 ここで私は「民族」という概念について考えたいと思います。日本では民族を、しばしば血統や祖先、あるいは生物学的なつながりのようなものとして理解する傾向があります。しかし、民族とはそれほど単純なものではありません。民族は、人間の自己意識と深く結びついています。私は旧ソ連・ロシアの民族問題を長く研究してきましたが、民族を考えるとき、本人の自己認識を無視することはできません。ある人物の祖父母がどこで生まれたのか、どの言語を話していたのかという客観的要素はもちろん重要です。しかし、それだけで民族が決まるわけではありません。本人が自分をどの共同体の一員と認識しているのか。そして、その共同体の歴史や文化、運命を自分自身のものとして引き受けているのか。ここが重要です。民族は血液検査によって判定されるものではありません。

 例えば旧ソ連では、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ユダヤ人、アルメニア人、グルジア人など、多数の民族が一つの国家の中で暮らしていました。両親が異なる民族に属している場合も珍しくありません。そのような社会では、「あなたは何民族なのか」という問いに対する答えは、単なる家系図では決まりません。本人が自分をどう理解しているかが大きな意味を持ちます。

国籍と民族は同じではない

 もちろん、国籍と民族は同じものではありません。国籍は法的な概念です。どの国家の構成員であるかを示す制度的資格です。一方、民族は歴史、文化、言語、宗教、記憶、自己認識など、はるかに複雑な要素から成り立っています。したがって、外国にルーツを持つ人が日本国籍を取得したからといって、その瞬間に過去の記憶や家族史が消えるわけではありません。しかし同時に、その人が「私は日本人である」と考え、日本社会の一員として責任を引き受け、日本国家の将来を自分自身の問題として考えているならば、その自己認識も尊重されなければなりません。岡本氏の発言を聞いて、私はそのことを改めて考えました。岡本氏は、自らのルーツを否定しているわけではありません。しかし、ルーツだけによって自分の現在を規定されることも拒んでいます。その姿勢は極めて自然です。

 人間は祖先によってのみ規定される存在ではありません。どこに生まれたかは本人には選べません。両親も祖父母も選ぶことはできません。しかし、どの社会の一員として生きるのか、どの価値を大切にするのか、どの共同体の責任を引き受けるのかということについては、本人の意思が関わります。

公明党の人間主義

 この問題を考える際、私は公明党という政党の特徴にも注目します。今回、公明党は岡本氏を新代表に選びました。私はそこにも、公明党が伝統的に重視してきた人間主義の一つの表れを見ることができると思います。人間主義とは、人間を属性によって判断しないということです。人間にはさまざまな属性があります。国籍、民族、宗教、性別、出身地、学歴、職業、家庭環境などです。しかし、人間そのものを、それらのカテゴリーの集合としてだけ見るならば、一人ひとりの人格は失われてしまいます。その人物が何を考え、何を信じ、どのような責任を引き受けているのかを見る。これは政治において極めて重要です。

 政党を評価する際には、外交、安全保障、社会保障、経済政策など、一つ一つの政策を具体的に検討しなければなりません。しかし今回、外国にルーツを持つ人物を党代表に選んだことについて、「外国にルーツがあるから問題だ」という議論には私は与しません。問うべきなのは政策です。政治家として何をしようとしているのか。日本という国家をどう考えているのか。国民の生活をどう守ろうとしているのか。そこを議論すべきです。

「一人一人」を見る政治

 岡本氏は党大会で「中道政治」について語りました。「国家の強さのみならず一人一人の幸福を追求する政治」であり、「平和と福祉を守り抜く政治」だという考え方です。この「一人一人」という言葉と、今回の国籍をめぐる発言は、私には無関係には思えません。国家を考えるとき、人間を抽象的な集団として扱うのではなく、一人ひとりの人間を見る。その人物がどのような家に生まれたのかではなく、どのように生きているのかを見る。これは宗教思想の世界でも重要な問題です。

 人間は、ある民族や家系に属しているから価値を持つのではありません。一人ひとりが固有の人格を持つ存在だから価値があるのです。私はプロテスタント神学を学んできましたが、この問題については強くそう思います。人間をカテゴリーの中に閉じ込めてはいけません。「在日韓国人三世として生まれた」ということは岡本氏の経歴の一部です。しかし、それだけで岡本三成という人物全体を説明することはできません。ゴールドマン・サックスで働いたことも、政治家になったことも、公明党で活動してきたことも、そして日本国籍を選択し、日本の政治に責任を持とうとしてきたことも、すべて同じ一人の人間の歴史です。

問うべきなのは具体的な行動である

 逆に言えば、ルーツについて語ること自体を特別視しすぎることにも注意しなくてはなりません。日本社会が本当に成熟するならば、外国にルーツを持つ政治家が存在すること自体は、それほど驚くべきニュースではなくなるでしょう。重要なのは、その政治家が有能なのか、誠実なのか、国民のために働いているのかということです。現実には、日本社会には依然として国籍や民族をめぐる偏見があります。SNSを見ればすぐに分かります。誰かの祖先が外国出身だというだけで、その人物の政治的忠誠を疑う言説があります。これは危険です。もちろん政治家の外国との関係や利益相反は検証されなければなりません。しかし、それは具体的な事実に基づいて行うべきです。祖先の民族や出生時の国籍だけを理由に疑うならば、それは政治的検証ではなく差別です。

 同時に、本人がルーツについて説明した場合、それを「そんなことを語る必要はない」と封じるのも適切ではありません。自分自身の歩んできた道を、自分の言葉で説明することは大切です。岡本氏は今回、それを率直に語ったのだと思います。

民族、国籍、そして生き方

 私は当初、この発言が記者会見でなされたものだと誤認しました。この点については、岡本氏とその支持者の皆さん、読者の皆さんに改めてお詫びします。しかし、YouTube番組での発言を実際に確認した上で、私が感じたことは変わりません。むしろ本人の番組という比較的自由な場で、国籍や自らのルーツについて落ち着いて説明している姿を見ると、自分自身の歩みを隠さずに語ろうとする岡本氏の姿勢がよく伝わってきます。

 民族とは何か。国籍とは何か。そして日本人とは何か。これらの問いに、単純な答えはありません。しかし少なくとも、祖先の出身地だけでその人が何者であるかを決めることはできません。人間は、自分の歴史を背負いながら、それと同時に、自分がどのように生きるのかを選択する存在です。民族とはルーツであると同時に、自己意識の問題でもあります。そして国家への帰属とは、法的資格であるだけでなく、その国家と社会の運命を自分自身の問題として引き受けることでもあります。

 岡本三成氏の発言は、単なる個人的な経歴説明を超えて、現代日本における民族、国籍、アイデンティティを考える材料を提供したと私は思います。そして、多様な背景を持つ人間を、血統やカテゴリーではなく、一人の人格として見ること。そこにこそ、公明党が掲げてきた人間主義が、本当に試される場面があるのだと思います。

参考

岡本三成公式YouTube「10/3 Vol.20 岡本みつなりの深夜ライブ【金融ロードショー】」
※国籍・ルーツについての発言は21分8秒ごろから
https://www.youtube.com/watch?v=LdQogvuaGQQ

The Letter「岡本三成・公明党新代表が語った『日本国籍』――民族とはルーツではなく、自己意識と生き方である」
https://masarusato.theletter.jp/posts/f3a81a70-a1c8-4126-8527-0c89b6f6c16e

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