神が人間との和解をつくる――フロマートカの「和解者イエス」と私が学んだこと
フロマートカにとって、イエス・キリストは神と人間の間を取り持つ単なる仲介者ではありません。人間を追い求め、その罪と責任を引き受け、神との破れた関係を自ら回復する「和解者」です。
佐藤優
2026.10.11
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和解とは「仲直りの勧告」ではない
ヨゼフ・ルクル・フロマートカ『人間への途上にある福音――キリスト教信仰論』(平野清美訳、新教出版社、2014年)の201~219頁には、第3章「言葉は肉体となった」の「14 和解者」が収められています。ここでフロマートカは、イエス・キリストの働きを「和解」という概念から捉え直します。重要なのは、和解が人間の側から神に近づく努力ではないということです。神と人間の関係が壊れたので、双方が少しずつ譲歩して中間点を探す、という話でもありません。和解の主体はあくまで神です。神が人間を追い求め、人間のところまで降りてきて、失われた関係を回復するのです。この議論の出発点には、人間についての非常に高い評価があります。フロマートカは、詩編8編などを念頭に、人間は神によって特別な尊厳を与えられ、神と信頼と愛の関係の中で生きるよう造られたと考えます。神は人間を単なる道具として用いるのではありません。人間をいわば対話の相手として扱い、神との信頼、愛、相互の忠実さの中で生きるよう定めたのです。ところが人間は神を裏切り、神から逃げました。それでも神は人間への忠実さを捨てません。ナザレのイエスにおいて、神は人間の問題を自分自身の問題として引き受けます。フロマートカにとって、ここに福音の核心があります。