北朝鮮の「朝鮮社会民主党」は何を代表するのか――曺晩植から李善権まで
キリスト教徒も参加した朝鮮民主党
北朝鮮には朝鮮労働党のほかに朝鮮社会民主党(조선사회민주당)と天道教青友党(천도교청우당)があります。朝鮮社会民主党の前身は、1945年11月に平壌で結成された朝鮮民主党です。中心人物は曺晩植でした。曺は日本統治期から民族運動に携わった著名なキリスト教徒であり、解放直後の朝鮮北部で大きな社会的影響力を持っていました。この党が重要なのは、北朝鮮国家の出発点には共産主義者だけでなく、民族主義者、商工業者、知識人、キリスト教徒など、異なる社会的基盤を持つ政治勢力が存在したことを示しているからです。アンドレイ・ランコフはロシア側の公開文書を用いた論文「The Demise of Non-Communist Parties in North Korea (1945–1960)」で、北朝鮮の非共産主義政党が統一戦線に取り込まれ、国内の異論を管理するとともに南朝鮮の政治勢力との接触にも利用され、1950年代を通じて独立性を失っていった過程を分析しています。論文の書誌情報と要旨はオーストラリア国立大学の研究データベースで確認できます(https://researchportalplus.anu.edu.au/en/publications/the-demise-of-non-communist-parties-in-north-korea/)。ランコフの重要な指摘は、こうした政党が最初から完全な虚構だったのではなく、実在した非共産主義的な社会勢力を取り込み、その後で政治的自律性を失わせていったという点です。
曺晩植の排除によって党の性格が変わった
転機は1945年末のモスクワ米英ソ外相会議で示された朝鮮の信託統治構想でした。曺晩植は信託統治に反対し、ソ連当局および共産主義勢力との対立を深めます。米国務省が公開している1946年の外交文書には、朝鮮民主党の元指導者である曺が事実上拘束され、その後消息が分からなくなったことが記録されています(https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1946v08/d488)。同年10月の別の米外交文書では、曺が約8カ月にわたって「protective custody(保護拘束)」状態に置かれていたことも確認できます(https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1946v08/d551)。ここで党の意味が大きく変わりました。曺晩植が代表した民族主義的、キリスト教的、非共産主義的な政治勢力が独立した形で存続したのではありません。党という組織は残しながら、指導部を入れ替え、朝鮮労働党の主導する統一戦線に組み込んだのです。したがって、現在の朝鮮社会民主党を1945年の曺晩植の政治思想の直接的継承者とみなすのも、逆に1945年から現在まで何の社会的背景もない「架空の党」だったとみなすのも正確ではありません。重要なのは、その機能が歴史の途中で転換したことです。