公明党は「中道」をどう再構築するのか――『聖教新聞』の報道から読み解く岡本三成新体制
『聖教新聞』は公明党の新体制をどう伝えたか
10月3日、公明党は東京都新宿区の公明会館で第18回全国大会を開催し、岡本三成氏を新代表に選出しました。竹谷とし子氏が代表代行、西田実仁氏が幹事長に就任しました。この大会を報じた10月4日付『聖教新聞』の記事には、「衆望に応える政治、前へ」という見出しが付けられています。さらに「中道理念掲げ『政界再編の軸』に」「統一地方選完勝へ出発」という二つの小見出しが続きます。私は、この見出しの組み合わせに注目しました。「政界再編の軸」という表現には、国政における公明党の存在感を高めるという意思が表れています。しかし、それだけではありません。「衆望に応える政治」という言葉が冒頭に置かれていることが重要です。政党が権力を獲得することと、国民の期待に応えることは同じではありません。選挙に勝利しても、国民生活を改善できなければ政治の目的を達成したことにはならないからです。
岡本代表は大会で、〈国会議員と地方議員が一丸となり、「小さな声を聴く力」と「ネットワークの力」をこれまで以上に発揮し、衆望に応える政治を力強く進めていく〉と述べています。この発言で重要なのは、「小さな声」という表現です。民主主義は多数決によって意思決定を行います。しかし、多数決で決定された政策が、必ずしも社会の弱い立場に置かれた人々の利益を保障するわけではありません。むしろ、政治的な発言力を持たない人々の声を、どのように政策決定の過程に反映させるかが民主主義の質を決めます。公明党が「小さな声を聴く力」を繰り返し強調することには、このような政治思想上の意味があります。もちろん、理念を掲げることと、それを実行することは別問題です。しかし、何を政治の出発点に置くかは、その政党の性格を理解するうえで重要です。
中道とは左右の中間に立つことではありません
岡本代表は全国大会で、公明党が「中道の理念と政策を高らかに掲げる『政界再編の軸』」になると表明しました。ここで考えなければならないのは、中道とは何かという問題です。日本の政治報道では、中道という言葉が保守と革新の中間、あるいは右派と左派の中間という意味で使われることがあります。しかし、私はこの理解では不十分だと考えます。中道とは、異なる政治的立場の中間で妥協することではありません。社会の中に存在するさまざまな利害や価値観を認めながら、人間の尊厳を守るという基本原則に立って合意を形成していく政治姿勢です。現代の日本社会では、所得格差、世代間格差、都市と地方の格差が広がっています。さらに、外交・安全保障政策をめぐっても、対立する意見が先鋭化しています。このような状況で、政治家が自分と異なる立場の人々を敵とみなし、支持者を動員することは比較的容易です。しかし、それによって社会全体の問題が解決するわけではありません。
中道政治の難しさは、異なる立場の人々の間に共通の利益を見いださなければならない点にあります。そのためには、相手の主張を聞き、必要な場合には自分の立場を修正する能力が求められます。対話とは、単に相手と会話することではありません。自分とは異なる考え方にも合理性が存在する可能性を認めることです。10月4日付『聖教新聞』によると、全国大会に来賓として出席した民主改革の会の小川淳也代表は、〈私たちは労働者福祉を最大の価値として掲げてきた。そして、公明党は大衆福祉を政治の前面に掲げてきた〉と述べました。この発言は興味深いです。労働者福祉と大衆福祉は重なり合いますが、完全に同じではありません。労働者福祉は、雇用や賃金、労働条件の改善に重点を置きます。一方、大衆福祉という概念には、労働市場から離れた高齢者、障害者、子ども、家庭内でケアを担う人々なども含まれます。両者の違いを認識したうえで協力関係を構築することができれば、中道政治には新たな可能性が生まれます。逆に、選挙協力だけを目的として理念の違いを曖昧にするならば、その協力関係は長続きしないでしょう。
ベーシック・サービスという発想の重要性
岡本新体制の政策で私が特に注目するのは、ベーシック・サービスです。10月4日付『聖教新聞』によると、岡本代表は医療、介護、教育など、生きていくうえで不可欠な公的サービスへのアクセスを保障する政策について、2040年を見据えたビジョンを取りまとめる考えを示しました。ベーシック・サービスの発想は、現金給付を中心とする福祉政策とは異なります。人間が尊厳を持って生きるために必要なサービスを、所得や社会的地位にかかわらず利用できるようにすることを重視します。例えば、所得が増えても、地域に病院がなければ必要な医療を受けられません。介護サービスを利用できなければ、家族の誰かが仕事を辞めて介護を担わざるを得ない場合があります。教育についても、家庭の経済力によって受けられる教育の質が大きく異なるならば、機会の平等は実現しません。ここには、経済成長の成果を事後的に再分配するだけでは不十分だという問題意識があります。社会の構成員が、それぞれの能力を発揮できる条件を整えること自体が政治の役割だという考え方です。
ただし、ベーシック・サービスの充実には財源が必要です。サービスの対象をどこまで広げるのか、国と地方自治体がどのように負担を分担するのか、既存の社会保障制度とどう整合させるのか。こうした問題を具体的に解決しなければ、理念は実現しません。岡本代表が責任ある財源論を強調していることは、この点で重要です。財源の裏付けがない福祉政策は、長期的には制度そのものへの信頼を損なうからです。
「苦しいのは今」という政治感覚
10月8日付『聖教新聞』は、7日に行われた岡本代表の衆院代表質問を「物価高対策、迅速・確実に家計へ」という見出しで報じています。記事の小見出しには「負担増『苦しいのは今』」という言葉が使われています。私は、この「苦しいのは今」という表現に、政治の重要な問題が凝縮されていると考えます。政府は来年4月から2年間限定で飲食料品の消費税を減税する方針を示しています。しかし、物価高によって家計が圧迫されている人々にとって、重要なのは政策が実施される時期です。将来の減税を約束されても、現在の生活費を支払えなければ意味がありません。岡本代表は、消費税減税に必要な約10兆円をどのように使えば、より早く、確実に家計を守ることができるのか、再検討するよう求めました。ここには、政策の名称や形式よりも、その政策が実際に人々の生活を改善するかどうかを重視する姿勢が見られます。
10月6日付『聖教新聞』によると、岡本代表は臨時国会に臨む姿勢について、〈社会が変わっているのに、政策手段が変わらないのは鈍感でしかない〉と述べています。これは政治家にとって重要な認識です。政策は目的ではなく手段です。状況が変化すれば、手段も変えなければなりません。過去に自分たちが提案した政策であっても、現在の状況に適合しなくなれば修正する必要があります。政治家が過去の主張に固執するのは、政策の修正が自らの誤りを認めることにつながると考えるからです。しかし、政治における一貫性とは、同じ政策手段を永久に維持することではありません。守るべき価値を明確にしたうえで、状況に応じて最適な手段を選択することです。
ジャパン・ファンドは新たな財政思想になり得るか
公明党が提案するジャパン・ファンドにも注目しています。これは国が保有する資産を有効活用し、そこから得られる収益を国民に還元する政府系ファンド構想です。10月8日付『聖教新聞』によると、岡本代表はジャパン・ファンドを「増税や国債発行だけに頼らず、財源を『育てる』新たな選択肢」と位置づけています。国家財政を考える場合、通常は税収と歳出、国債発行額などに注目します。しかし、国家には負債だけでなく資産もあります。資産をどのように管理し、活用するかという視点は重要です。
もっとも、政府系ファンドには市場変動による損失の危険があります。運用益が常に確保できるわけではありません。政治的な判断によって不適切な投資が行われる可能性もあります。したがって、運用の独立性、情報公開、損失が発生した場合の責任の所在などについて、厳格な制度設計が必要です。私は、ジャパン・ファンド構想に関しては、国民の共有財産をどのように管理するかという議論を広げる契機として捉えています。重要なのは、資産運用によって得られる利益が、最終的に誰のために使われるのかという問題です。
「平和国家」を外交の中心に置く
10月10日付『聖教新聞』は、西田実仁幹事長の参院代表質問を「『平和国家』貫き対話主導を」という見出しで報じています。西田幹事長は、日本の戦後の歩みを平和国家として位置づけ、ミドルパワー外交を主導すべきだと主張しました。さらに、外務省が2005年に公表した「平和国家としての60年の歩み」に示された歴史認識に言及し、高市首相の姿勢をただしました。私は、外交において歴史認識が持つ意味を軽視すべきではないと考えています。国家間の信頼は、軍事力や経済力だけによって形成されるものではありません。過去に起きた出来事をどのように理解し、相手国に説明するかという問題も重要です。特に東アジアでは、歴史認識が現在の安全保障環境と密接に結びついています。日本が平和国家としての立場を維持することは、単なる理念の問題ではなく、外交上の資産を守ることでもあります。
西田幹事長が提案した「北東アジア安全保障対話・協力機構」の創設も検討に値します。安全保障上の対立が激しくなると、相手国との対話を続けること自体が批判される場合があります。しかし、対立が深刻だからこそ、意思疎通の経路を確保する必要があります。外交交渉とは、相手国の主張を受け入れることではありません。互いの立場が異なることを前提として、衝突を回避するための条件を探る営みです。ロシア外交についても、同じことが言えます。日本とロシアの間には、ウクライナ問題をはじめとして深刻な対立があります。しかし、対立が存在することと、対話の経路を完全に閉ざすことは別問題です。むしろ、関係が悪化しているときほど、外交当局間の意思疎通が重要になります。
公明党が非核三原則の堅持を強調していることも、この文脈で理解する必要があります。非核三原則は、日本の安全保障政策における基本原則であると同時に、国際社会に対して日本の姿勢を説明する重要な政治的資産でもあります。ただし、対話の枠組みを設ければ直ちに安全保障環境が改善するわけではありません。北東アジアには、核兵器、領土問題、歴史認識、軍事同盟など、複雑な問題が存在しています。対話の制度化と抑止力の維持をどのように両立させるかについて、具体的な検討が求められます。
地方議員のネットワークが持つ政治的意味
今回の『聖教新聞』報道で私が特に注目したのは、岡本三成代表が繰り返し強調している地方議員とのネットワークです。10月6日付の記事によれば、岡本氏は臨時国会での論戦について、「とりわけ地方議員とコミュニケーションを取り、地域の一人一人の期待にかなうものかを確認しながら議論を前に進めていきたい」と述べています。これは単なる組織の結束を呼びかける言葉ではありません。国政における政策形成の出発点を、中央官庁や政党本部だけでなく、地域社会の具体的な生活実態に置こうとする考え方を示しています。日本の政治では、中央で政策が決定され、それが地方に伝達されるという上意下達の構造が強いのが実情です。しかし、実際に生活上の困難を抱えている人々の声は、必ずしも中央に届くとは限りません。介護に疲れた家族、物価高によって食費を切り詰めている高齢者、教育費の負担に苦しむ保護者などが直面している問題は、統計だけでは十分に把握できません。地方議員が日常的に住民と接触し、そこで把握した問題を国会議員に伝え、制度改革につなげるという仕組みには、代表民主制を補完する機能があります。ただし、ネットワークが存在することと、住民の声が実際に政策に反映されることは同じではありません。今後は、地方から提起された課題がどのような過程を経て政策に結びついたかを検証する必要があります。
ここで重要になるのが、政治を支える人間関係の問題です。政治学では、制度や政策だけでなく、人々の間に蓄積された信頼や協力関係を社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)という概念で捉えることがあります。地域社会に継続的な人間関係が存在し、困っている人を孤立させない仕組みが機能していれば、それは政治的な要求を形成する基盤にもなります。もっとも、緊密な組織は内部の結束を強める一方、組織の外側にいる人々の声を拾いにくくなる可能性もあります。したがって、ネットワークの政治的価値を考える際には、結束の強さだけでなく、異なる立場の人々にどれほど開かれているかが重要になります。
『寸鉄』に表れた信仰と政治の距離
10月4日付『聖教新聞』の「寸鉄」も興味深いです。同欄には「祈りは行動に繋がる時、初めて叶う―池田先生」という一節があります。また、公明党の新出発に関連して「立党の精神片時も忘るな!大衆の為、平和と暮らし守れ」と記されています。この二つの文章を並べて読むと、信仰と社会的実践の関係について考えさせられます。宗教における祈りは、個人の内面的な慰めにとどまるものではありません。祈りが他者との関係を変え、具体的な行動につながるという考え方は、宗教的伝統によって教義上の違いがあるものの、さまざまな形で見いだされます。私はプロテスタントのキリスト教徒なので、この問題をキリスト教の信仰と行為の関係から考えます。信仰が現実社会における人間の行動に結び付くという創価学会の考えは、私の信仰観と親和的です。
同時に、宗教的な価値観が政治に影響を与えることと、宗教団体の判断がそのまま政治的な正しさを保証することは、区別しなければなりません。民主主義社会において、政策の妥当性は宗教的信念を共有しない人々にも説明できる言葉で検証される必要があります。信仰に由来する倫理的な動機が、公共的な議論の中でどのように表現されるのか。今回の報道は、その問題を考える材料にもなります。
『聖教新聞』が伝えようとしているもの
今回取り上げた一連の記事は、公明党の新体制を紹介する報道であると同時に、党が重視する政治理念を創価学会員に伝える役割を担っています。全国大会の報道では新代表の基本方針を示し、両院議員総会の記事では国会論戦への姿勢を伝え、衆参両院の代表質問では具体的な政策課題を取り上げています。記事を時系列で読むと、理念が政策論争へ反映されていることがわかります。もっとも、創価学会機関紙である『聖教新聞』は、基本的な価値観を共有する公明党の活動を継続的に詳しく報じる媒体です。一連の報道から浮かび上がる特徴は、政治を抽象的な国家目標だけでなく、生活の現場にいる一人一人の人間との関係から捉えるという視点です。医療、介護、教育、物価高、地域の安全、戦争と平和という問題は、一見すると別々の政策課題に見えます。しかし、いずれも人間が安心して生活するための条件に関わっています。
公明党が掲げる中道政治の意味も、このような観点から検討することができます。重要なのは、異なる価値観や利害を持つ人々の間で、具体的な生活上の課題を解決するための合意を形成できるかどうかです。岡本新体制の政治的な特徴は、今後の国会論戦、地方議員との連携、政策実現の過程を通じて、さらに明らかになるでしょう。政治は理念を必要とします。しかし、理念だけでは人々の暮らしは変わりません。理念を政策に翻訳し、政策を制度に変え、制度を通じて具体的な人間の生活を支える。私は、その点に注目して公明党の新しい動きを見ていきたいと思います。
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