真理を失った民主主義はなぜ独裁を生むのか――フロマートカが論じたマサリクとラドルの哲学
民主主義を守るためには何が必要なのか
チェコのプロテスタント神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889~1969年)の『破滅と復活』(Doom and Resurrection)を読み進めています。第4章の表題は「哲学者が死と混沌に直面する」です。ここでは、チェコスロバキア初代大統領トマーシュ・ガリグ・マサリク(1850~1937年)と、哲学者エマヌエル・ラドル(1873~1942年)が取り上げられています。第3章でフロマートカは、ドストエフスキーを通じて、人間の罪と近代文明の崩壊を分析しました。人間は自分自身を絶対化するとき、善と悪を区別する基準を失い、他者に対する暴力を正当化するようになります。しかし、ドストエフスキーは、そのような人間にもキリストによる救済の可能性が存在すると考えました。第4章では、この問題が哲学と政治の領域に移されます。人間の自由と尊厳を守るためには、どのような哲学が必要なのでしょうか。民主主義を維持するためには、どのような精神的な基盤が必要なのでしょうか。
フロマートカは、1933年にマサリクが行った発言に注目します。マサリクは、民主主義の危機について質問された際、ヨーロッパの知識人が共通の信念を失っていることを問題にしました。知識人たちは多くの理論を語りますが、何が真理であるかについて確信を持っていません。その結果、人々は知識人を信用しなくなり、単純で明確な教義を掲げる政治運動に引き寄せられるというのです。民主主義は、さまざまな意見が存在することを前提としています。しかし、すべての意見が単なる個人の好みであり、真理や正義について共通の基準を持つ必要がないと考えるようになれば、政治的な議論は成り立たなくなります。ただし、ここで注意しなければならないことがあります。民主主義に必要なのは、国民全員が同じ思想を信じることではありません。異なる思想や信仰を持つ人々が、一定の共通原則に基づいて政治的な決定を行うことです。その原則には、人間の尊厳、法の支配、言論の自由、少数者の権利などが含まれます。私は、マサリクの議論を現代に生かすためには、この区別が必要だと考えています。真理への責任を重視することと、国家が一つの真理を国民に強制することは、まったく異なる問題だからです。